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連載昭和事件史

「だまされたんです!」“二重人格の殺人魔”を信じてしまった女中の涙

――劇場型犯罪の“草分け”!? 「八宝亭事件」 #2

2021/02/14

 築地事件捜査本部では9日午後1時、捜査一課・野田係長、田口主任、鑑識課・岩田係長の一行が八宝亭の現場を再検証したが、2階の同店雇人山口常雄さん(23)の部屋を中心に行われた。事件以来既に16日を経過したが、山口さんの居室を検証したのは初めてで、この日は同居室に有力な新事実が発見された模様で、2階6畳2間、階段、便所など、写真数枚を撮影した。事件はこれによって違った方面に進展するのではないかとみられている。

再検証が事件の流れを変えた(毎日)

 奥歯に物の挟まったような記事で、当然裏があった。そもそも、この時点でなぜ再度の現場検証? というのが素朴な疑問だろう。現場に行った岩田係長の「鑑識捜査三十五年」に記述がある。

 その後、(捜査)本部から2階の山口の部屋を検証してほしいと連絡があった。あの時、主人の部屋に遺骨を飾ってあったから初七日ころであったか。私は再検証の要請を受けてドキンとした。あれだけの事件に、検証は当日だけしかやっていない。しかも、2階は事件に関係がないと考えてやらなかったからである。あれから次々に事件があって忙しかったからでもあるが……。しかし、犯人が内部ではないかと思っているものが、山口の部屋の検証を怠っていたのでは問題にならない。自分で自分を戒めながら階段を上った。階段の左側羽目板に血痕の擦過したものがある。あれくらいの犯行をしたものが、階段の真ん中を堂々と歩けるわけがない。おそらく左側を忍び上がったに相違ない。その時、血液の付いた着衣が羽目板に擦過したものだろう。

 山口の部屋からはルミノール(血液)反応も出た。「毎日新聞の24時間」によれば、同紙の記者は鑑識課員が八宝亭に入って行くのを現認。鑑識課員から血液反応が出たことを聞いた。本社に上がって協議。まだ被害者のものかどうか分からなかったため、社会部長が「血液と書かずに、新事実という表現を使って書いたらいいやないか。扱いだけをぐっと大きくして……」と命令して、そうした紙面になったという。

目撃者たちが「よく似ている」と証言する一方、当の山口は…

 奇妙なのは「警視庁史 昭和中編(上)」にはこの再検証のことが書かれていない。代わりに、「太田成子」追及に執念を燃やした刑事のことを詳しく書いている。

 捜査一課・大島勝義巡査と築地署・樋口金八巡査の一組は事件発覚の翌(2月)23日、犯行現場一帯の地取り捜査に当たっていたが、事件を新聞で知って現場近くに集まった人だかりの中で、一人の中年の男が「新聞に出ていた女の人相や年格好が、私の知っているホテルを10日ほど前に辞めた女中によく似ている」と傍らの人と話しているのを小耳に挟んだことから、両刑事はその場を立ち去ろうとする男の後をつけ、身分を明かして近くの喫茶店に誘った。この男は世田谷区大原町に住む会社員で、そのホテルは新宿の「ホテル新宿」であることや、その女中はホテルを辞めてから「夜の女」になっているらしいなどと気軽に話してくれた。両刑事はこの聞き込みをその日の捜査会議に報告したが、重要視されなかった。

 両刑事は「ホテル新宿」について捜査。「太田成子」に似ているという「女中」は本籍・静岡県田方郡西豆村(現伊豆市)出身の西野つや子(23)と判明。義兄が東京・永田町の工事飯場にいることが分かった。

 それとは別に、新宿の旅館に人相、着衣が酷似している静岡県沼津市出身の女が宿泊していたことを探知。その女の行動を調べると、「太田成子」の動きと重なることがはっきりした。