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連載昭和事件史

「西から太陽が昇った」太平洋に降った死の灰 歯ぐきの出血に脱毛…日本人が核の恐怖を最も感じた日

「西から太陽が昇った」太平洋に降った死の灰 歯ぐきの出血に脱毛…日本人が核の恐怖を最も感じた日

「もしもあの時あの場所にいなければ…」第五福竜丸事件 #1

2021/02/28
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閃光から2時間、雨の中には白い粉のようなものが混じっていた

 2、30分はたっただろうか。あたりはすっかり明るくなり、黒い大きな雲はなぜか俺たちの方へ向かって、どんどんと覆いかぶさるように不気味に広がってきた。晴れていた空はその雲で覆い尽くされてしまった。低気圧でも通過するかのように風も加わって、雨もぱらぱらし始めた。うねりの出ないのがせめてもの救いだ。閃光が見えてから2時間ぐらい、ふと気がつくと、雨の中に白い粉のようなものが混じっている。「なんだ、これは」。思っているうちに、粉はだんだん量が多くなった。やがて雨はやみ、その白い粉だけになった。粉雪が降ってくるという感じだ。

 みんなゴム長靴にゴムのズボン、上半身は白いシャツ1枚、船も人も風上に向かっての作業なので、粉は目や耳、鼻などに容赦なく入り、まとわりつく。雪と違って、手で払っても、へばりついたようになかなか落ちない。目に入るとチクチク痛くて、目を開けていられない。くちびるの周りについた粉を口に含んでかんでみると、ジャリジャリして固い。「なんだろう。なんだと思う」。周りの者と小声で話し合ったが、納得のいく答えは誰からも返ってこない(「死の灰を背負って」)。

 漁は最後まで不漁で、乗組員は「デッキにたまった白い灰も海水で洗い流し、自分たちも裸になって、髪の毛や耳などについた灰を洗い落としてほっと一息」。船は焼津港に向かって北へ。しかし……。

「灰をかぶった時点では誰も口には出さなかったが、作業中にめまいがしたり、縄を揚げ終わるころには頭痛や吐き気、夜になると下痢をする者も何人かいた」(同書)。

降り注いだ白い灰…続いた乗組員の体の異常

 久保山無線長は危険を感じていたのか、甲板員に「水で体を洗え」と何度も言った。甲板員の1人が、戻って見てもらうため、白い灰を拾ってひとつかみ袋に入れていた。乗組員の体の異常は続いた。

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焼津の病院に収容された第五福竜丸の乗組員たち(「決定版昭和史14」より)

 灰をかぶって3日目ごろから、顔の皮膚が異様に黒ずんできた。いつもの日焼けの黒さとは違う黒色で、歯ぐきからの出血もある。首の回りや手首、足首、腹のベルトを締めていたところ、作業中に灰がたまったところには、やけどと同じような2、3ミリの水泡が固まってできてきた。顔や耳は左側がひどい。作業中、左側に白い灰がずっと当たっていたせいだろう。見た目ほど痛くないのが不思議だ。水泡が崩れてそこに潮水が当たると、これはしみて痛かった。

 焼津までの帰航には2週間かかった。1週間を過ぎたころ、甲板長の川島(正義)さんが髪にくしを入れていて、ふと毛が抜けてくるのに気がついた。「ええっ」とてんでに自分の髪の毛を引っ張ってみた。抜ける。ほとんどの者が大なり小なり、引っ張ると抜ける。鉢巻きをして作業していた者がやはり一番ひどい。指で持っただけ抜けてしまう(「死の灰を背負って」)。

「みんな異様な黒い顔に目玉をきょろきょろさせ、手足にできた傷も気になっていたが、次の出港までにはなんとか治るだろう。そんなふうに軽く思っていた」。3月14日午前5時50分、ひっそりと焼津に帰港。

 事情を聞いた船主の勧めもあって、全員が午前中、焼津協立病院で受診。当直医は翌日、傷がひどい山本忠司機関長ら2人を東大付属病院に回した。