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連載昭和事件史

「西から太陽が昇った」太平洋に降った死の灰 歯ぐきの出血に脱毛…日本人が核の恐怖を最も感じた日

「西から太陽が昇った」太平洋に降った死の灰 歯ぐきの出血に脱毛…日本人が核の恐怖を最も感じた日

「もしもあの時あの場所にいなければ…」第五福竜丸事件 #1

2021/02/28

「重大なのを気づかず、灰のついた服のまま市内を遊び歩いている」

 若い乗組員は帰港した日の夜から夜の街に出た。そして3月16日、乗組員らは読売朝刊社会面の特ダネ記事に飛び上がる。

第五福竜丸被爆を報じた読売の特ダネ記事

邦人漁夫、ビキニ原爆実験に遭遇 23名が原子病 一名は東大で重症と診断

 3月初めからマーシャル群島で行われているアメリカ原子力委員の一連の水爆、原爆実験の、その第1日目のさる1日に、たまたま日本の漁船がそばにいて、爆発による降灰を受け、その放射能によって全員火傷したまま、大して重くもみず14日帰国。うち2名の船員が東大の精密診断を受けるために、灰を持って15日上京。清水外科の診断を受けたが、1名は生命も危ぶまれる重症として直ちに入院手当を受けることになったが、他の船員は事の重大なのを気づかず、灰のついた服のまま同夜は焼津市内を遊び歩いている。

水爆か

 この1日の爆発実験は、アメリカの公式発表によってもビキニ環礁で行われたもので、日本漁夫の申し立てとも一致しており、しかもこの日の実験では、28名の米人と236名の現地人が“ある種の放射能”によって火傷したと報告されているが、いままでの原爆実験ではこの種の事故が報告されていないことからみて、あるいは水爆かともみられ、その強力な放射能を持った“死の灰”が持ち込まれて不用意に運ばれているとすれば危険なことである。

帰港後、放射能検査を受ける第五福竜丸(「決定版昭和史14」より)

「焼けたゞ(だ)れた グローブのような手」が見出しの別項記事では、記者が東大付属病院で乗組員から聞き出した当時の模様を書いている。また、被爆者研究で知られた都築正男・東大名誉教授の談話も。

「外傷などから判断すると、広島、長崎の原爆の場合と違う」「今度の場合は、直接灰をかぶって2、3日後に顔が火ぶくれになったというが、その灰は水爆か原爆かの破片が落ちてきたものだ。いわば原爆のカケラの放射能そのものにやられたわけで、かぶった直後、丁寧に洗い流せばなんでもないのだが、放置しておくと、放射能が体を突き通し、火ぶくれのようになる」。

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焼津に帰港後、警戒下の第五福竜丸(「写真でたどる第五福竜丸」より)

 記事はまた「船員たちは『大したことはない』と言って警察にも届けず、記者らにも『何を騒ぐのか』というほどで、大井医師から報告を受けた県当局も適切な処置を講じていないありさまである」と記述。指摘は当然かもしれないが、やや乗組員には酷だった気がする。