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なぜ豊島将之は藤井聡太に6連勝したのか?【流れゆく水のように 豊島将之竜王・叡王インタビュー 第1章】

「はい」

──こちらで調べた感じですと、豊島先生の対局が初めてニコニコ動画で流れたのが、2014年の朝日杯。羽生(羽生善治九段)先生と雪の日に戦われた将棋です。

「ああー……準決勝の」

──はい。準決勝の。羽生先生がスノーブーツを履いて来られたという。豊島先生は、惜しくも羽生先生に敗れてしまったのですが……。

「はい」

──そうやってご自身の将棋が中継された映像って、ご覧になっていましたか?

「いやぁ……あんまり見ていなかったですかね、最初の頃は。コメントとか流れてきて……怖い気持ちもあったので(笑)」

──『とよぴー』と呼ばれたり、『かわいい』という評価が付いたり。そういうの、意外でしたか?

「こんなふうになるとは思っていませんでしたね(笑)。そもそも自分がメディアに出ることになるなんて思わなかったですし」

──で、この2014年2月に行われた朝日杯中継の1ヶ月半後に、電王戦に出られたということだと思うのですが。

「はい」

──世間からの反響というものは、いかがでしたか?

「電王戦の時は……出る前からすごく注目されているのは感じていて」

──世間からの注目というのは、豊島先生に何か影響を与えましたか?

「ええ。最初はそんなに、練習対局をしてガチガチに作戦立ててやろうと思っていなかったですし」

──そうなんですか!? 1000局近くも練習対局をしたことに、全世界が衝撃を受けたんですが……最初は、そんなことするつもりがなかったと?

「はい。やっていく中で、注目されているんだなということを感じて。あとは、けっこう……『ソフトに負けてしまうと、この後どうなってしまうんだろう?』という不安を、自分も持っていましたし、将棋界全体そういう空気もあったので」

──電王戦、すごく壮大だったじゃないですか。メンバー発表の時からニコファーレで派手にやって。お土産用に豊島先生の顔写真入り団扇も作って。それまでの将棋界の催し物とは、規模も方向性も違うというか。