「ああ……そうですね」
──その対局……の、翌朝の朝食会場で、豊島先生が一人で座ってスマホを見ながらご飯食べてるのを、私は偶然すぐ後ろの席に座って見てて(笑)。
「ふふふ」
──でもその頃は、ちょっと声をかけづらかったというか……。
「そうでしたか?」
──インタビューを拝見すると、2012年から13年の頃は、伸び悩んでおられたとあります。それで、その……思い詰めるような感じだったんでしょうか?
「それは……もうちょっと後のことですかね。まあでもその頃も、何となく危機感はあったんですけど」
「自分の中では、あんまり上手くいっていないなという感じはありましたけど、同年代の中からタイトルを獲得するような人たちが出るのは、多分もう少し先のことになるので」
「まあでも、ちょっと焦りみたいなものはありましたけど」
──その頃は、名人戦は羽生森内(森内俊之九段)ばかり。将棋でも矢倉が主流で、しかもその矢倉も4六銀3七桂型ばかりで。
「はい」
──トップが固定され、一つの将棋が掘り下げられていた時代。戦法的な閉塞感のようなものはあったんですかね?
「あー……そうですね。横歩取りやゴキゲン中飛車も、だんだん厳しくなってきていて」
「2手目に8四歩を突けば、いろんな戦法になるんですけど……でもそうすると、羽生先生の世代の方々が、すごく研究してきた形の中で戦うことになるので……」
──相手の土俵で戦わざるを得ない?
「大変だな、というような感じはありましたよね……」
──少し話が飛ぶんですけど……リアル車将棋ってありましたね?
「ありましたね(笑)」
──いろいろなお仕事を断っておられた中で、どうしてあの企画に? やっぱり(愛知県に本社がある)トヨタ関連の仕事だから?
「あ、いや(笑)。まあ、あれは対局なので」
──あ、そうか。対局でしたね(笑)。
「羽生先生と指せるんだったら、当然……」
──受ける一手だと。ご出演なさって、いかがでしたか?