──人間同士で戦っているときには気づけなかったけど、ソフトと比べることで『やっぱり人間だからできないことってあるよね』と気づいた?
「あったと思います」
豊島は静かに、しかし深く頷いた。
もう一つ、私はこの扇子について聞きたいことがあった。
──関防印(右上の赤い判子)が『抱朴(ほうぼく)』。素朴な気持ちを抱き続ける……というような意味だと思うのですが、これを選ばれた理由は?
「関防印に使う熟語を集めた紙みたいなのがあって、その中から選んだんですけど……そんなに深くは考えていなかったです(笑)」
──豊島先生にとっての素朴な気持ちって、どういうものですか?
「どんな気持ちなんでしょう?(笑)」
──将棋を楽しむ、みたいな?
「あっ、それはありますね。やっぱり、将棋を始めた頃の気持ちというのは、大切にしたいと思っていて……」
──1年間の獲得賞金が1億円を超えて、8つあるタイトルのうちの5つを獲って、豊島先生の存在はもう『素朴』といえるものじゃなくなっていると思うんです。
「でも、タイトルをこんなに獲れるとは思っていなかった時期もありますし。名人にも、竜王にもなって、もちろん実績とかキャリアについては満足している部分もあるんですけど……実際に将棋を指すと、『ここはもっとこうしたいな』という気持ちはわいてくるので。それに従ってやっている、という感じですかね」
──逆に、将棋を始めたばかりの子供の頃と比べて、変わった部分というのはどこなんでしょう? 大人になったな、と思う部分って。
「え? うぅーん…………どうでしょう? 変わった部分ってあるのかな? もちろんずっと同じではないですけど、幼い頃に戻れている瞬間瞬間というのはある気がします」
「変わったっていうと、四段になった頃の気持ちとは、だいぶ変わったと思いますね」
──え? プロ棋士になった時のほうが、幼い頃より今と違う?
「四段になった時はもっと、『自分は将棋の真理を探究していける!』と思っていたので」