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――それはかなり居心地悪い状況に思えるんですが……。

佳子 いまにして思えばそうなんですが、当時の私は「またまた~」と受け流してたんです。ただ、決して楽しい雰囲気ではなかったはずなんですけど、そうして居座っている以上は「ご飯は食べなあかんやろう」と、私のお箸や湯呑みを買ってくれたりもして、なんだかんだ時間が経っていった感じでした。

――やはり無下にはできなかったんですね。

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佳子 だから私もせめて、それまでまったく料理なんてしたことがなかったのに、自分なりに頑張って何か作って待っていたりしていました。毎回お父さんに、「これ何?」と聞かれるようなものしか作れませんでしたけど、何でもソースをばーっとかけて食べてくれてましたね。

すれ違い生活が結婚に至ったワケ

――そういう奇妙な同居生活はどのくらい続いたんですか。

佳子 1カ月くらい経ったところで、「あんた、本当にこれからどうするの?」、「そろそろちゃんとしないと」と、それまで以上に真剣に言われましたが、それでも私は出て行かなくて。そうこうしているうちに、お腹が大きくなってきたんです。

©深野未季/文藝春秋

――なんと! ご懐妊ですか?

佳子 そう、子どもができていたんです。そこでお父さんが慌てて東京にいる赤井に電話して、「お前、結婚するんか?」と言うと、彼が「しようかな」と答えたので、結婚に向けて話が進み始めました。

 もっとも、地元にいる赤井のお仲間さんたちからは、「こいつはええ奴やけど、結婚だけはやめておいたほうがええで」と口々に言われましたけどね。これについてはお母さんも、「英和はええ子やけど、結婚相手には向いとらんよ」とずっと言ってました。

――それでも、結婚の意思は揺るがなかった。

佳子 そうですね。赤井が初婚のときの仲人さんにまで、「赤井君は勧めへんよ~」って言われましたけど。

――佳子さんのご両親も、あまりの急展開に驚かれたのでは?

佳子 それが……。私が急に大阪へ引っ越すなんて言い出したものだから、その時点で親は怒ってしまって、「そんな勝手なことばかりするんだったら、もううちの娘でも何でもない!」と、ほとんど絶縁状態だったんですよね。でも、孫も生まれるし、結婚となればさすがに黙っているわけにもいかず、事情をはなして許してもらいました。

赤井 でも、ちょうどそのタイミングで旅番組の仕事が入り、私が2ヶ月間アフリカへ行かねばならなくなったんですよ。