文春オンライン

終わらないアップリンク問題 ハラスメント告発のあとに

2021/09/05
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ミニシアターでハラスメントが起きる“構造的な問題”

 降矢さんは、アップリンクのようなミニシアターでハラスメントが起きる背景には、映画業界全体の構造的な問題が横たわっているのではないかと語る。

「ミニシアターにおける労働環境の改善を図るためには、映画文化の発展を本気で考えなければならないと思います。映画界全体のあり方として、アップリンクなどのミニシアターに小さな映画の配給や上映をまかせすぎていた面があり、それが無理な労働環境にもつながっていたのではないでしょうか。

 ミニシアターにはきちんとした労働環境を持続していけるだけのキャパシティで活動をつづけてもらい、インディペンデントな活動のなかで、より広く展開できそうな作品があれば、大手の映画会社がそれを広めていく、といった活動ができないものか。小さな映画を探し出す力をもったミニシアターと、映画を広める力をもった大手映画会社が協力し、互いによいところを組み合わせる方法を探っていくことが映画文化の発展につながり、ミニシアターを救うことにもつながると思います」

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アップリンク渋谷

他者の犠牲をもいとわない独善的な「愛」

 コロナ禍によってミニシアターの危機が叫ばれるなか、SNSでは「採算がとれないなら、つぶれても仕方ない」「いまは配信が主流だから、客の少ないミニシアターが淘汰されるのは自然なこと」といった意見が多数見られた。典型的な自由経済社会の論理だが、映画とはそもそも瞬発的な数字によってのみ存在価値が測れるものではない。劇場公開時には興行成績の芳しくなかった作品も、後年になってさまざまな形で歴史的価値を認められるケースはいくらもある。ミニシアターは、そうした映画の受け皿として表現の多様性を担保し、育てていく場所なのだが、こと日本においては、ミニシアター文化はニッチな観客の趣味の産物としか認識されてこなかった。国や行政も映画を文化的な財産とみなして支援するシステムを十分につくりあげてこなかった背景がある。

 大きな枠組から疎外された文化は、往々にして閉塞的、先鋭的なコミュニティを形成していく。そうしたコミュニティがしばしば拠りどころとするのは、他者の犠牲をもいとわない独善的な「愛」なのだ。多くのハラスメント問題の後景には、このゆがんだ愛がある。

さまざまな“二次加害”

 UWVAHは、ツイッターにおいて「アップリンクで働いている中で受けた傷はもちろんのこと、提訴後のアップリンク側の不誠実な対応や映画業界の沈黙や二次加害によって受けた傷は未だに癒えていません」(2020年10月30日付)と書いている。この事実を、筆者を含む映画業界の人間たちは重く受け止めねばならない。

「告発してから現在に至るまでに、SNSでは『いつまで言ってるんだ』というような二次加害的な発言がいくつも見受けられました。また、『彼らだってアップリンクをつぶそうとしているわけじゃない』というような声も散見されましたが、なぜそんなに簡単に私たちの声を代弁できるのか――実際は代弁にもなっていませんが――不思議でなりません」(UWVAH・錦織可南子さん)

 また、メディア報道の責任も重い。

「自分が主体的に意見を述べず、『他人に言わせる』ことで済ませようとするのは狡いと思います。なぜいつまでも私たち被害者だけが矢面に立たなければならないのか。私たちは自分たちが受けた被害について声を上げましたが、それを受けて問題を検証し、同じことが起こらないようにはたらきかけをおこなうのは、本来私たちがやることではなく、ジャーナリズムが主導してやっていくべきことではないでしょうか」(同・鄭優希さん)

「告発の直後には少なからぬメディアが飛びついてきましたが、その後のアップリンク側の対応等について、きちんと検証した記事がほとんど出ていない。検証をおこなうためには一つひとつの点を整理して線にしていく作業が必要だと思いますが、点が点のまま放置されているんです。そのうえで、映画ファンに愛されていた映画館がコロナでつぶれてしまった、というようなセンチメンタルな話に落とし込むのは偽善であり、ましてメディアの人間が『映画館のよき思い出』のような記事を平然と書いているのには怒りをおぼえます」(同・清水正誉さん)

 こうした記事を読んだ読者は、「コロナのために映画館がつぶれてしまい残念」「いい映画館だったのに……」と感想を寄せるが、その声がハラスメント被害者をさらに追いつめてしまう。このような報道の問題は、前回取り上げたユジク阿佐ヶ谷の閉館に際しても同様に見られたものだ。

「コロナで映画館が危機に陥っていることはもちろん報道されるべきですが、それと並行してハラスメントの問題も語られなければいけないはずです。『映画館を守る』という声がさかんに聞かれますが、まさしく映画館を守るために労働力が行使されてきた現実があるわけで、だとすればハラスメントの問題はそのことと一体のものとして議論する必要がある。私はすでに映画業界から離れてしまいましたが、まだ業界のなかにいる皆さん、発信する力をもっている方々には積極的に発信していただき、同時に弱い立場に置かれるひとも安心して声をあげることができる環境をつくっていってほしいと思います」(同・浅野百衣さん)