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「この指がどうなろうと私はやりきってみせる」

 怪我をしても闘うことをためらわなかった竹下は、後にこう述懐した。

「骨折と告げられたからって、『ああ、そうですか。悔しいけどコートに立つことは出来ません』というわけにはいかない。私たちはロンドンで勝つために、考えられる練習をすべてこなしてきた。ここに来て、私の事情でチームの戦略や戦術を狂わすことは出来ないと思ったんです。だから骨折を骨折と認めないで、この指がどうなろうと私はやりきってみせるという考えしかなかった」

 竹下を使うと決めた時点で、眞鍋も覚悟を決めた。

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「もしダメだったら、僕が一切の責任を負えばいい。ただ、僕は選手の中では竹下と1番多く会話を重ねてきていましたから、彼女の性格なら指1本使えなくても、トスを上げられるだろうという読みはありました」

 眞鍋ジャパンの選手らは、竹下の背中を見て闘う姿勢を学んできた。怪我をしてもコートに立とうとする竹下の執念を選手に伝えれば、チームの絆はさらに強固になる。そう考えた眞鍋は、竹下に骨折の事実をチームに伝えようと提案した。しかし竹下は、これも頑(かたく)なに拒否する。

ロンドン五輪での竹下佳江選手、大友愛選手ら ©文藝春秋

「私たちはメダルを獲ることを目標にそれぞれが技を高め合ってきた。怪我を告げてみんなのモチベーションをことさら煽(あお)らなくても、この3年半、眞鍋さんの下でやってきた練習の成果を五輪の舞台で出せれば、メダルにたどり着けると考えていたんです。この期に及んで私がキーマンになるのは違う、みんなの力で勝つのが筋。だからほかの選手には、絶対に言わないようにしてもらいました」

 骨は折れているがズレていないことが、不幸中の幸いだった。少しでも衝撃を与えればズレる可能性があり、そうなったら手術するしかない。

 だが、コートに立つ以上、衝撃は避けられない。添え木を当て、その上を石膏で固めた。装具を作製したのは若宮トレーナーだった。竹下は、若宮の献身ぶりにはひたすら感謝するしかないという。

「彼は本当に大変だったと思う。私も本番前にこんな状態になってしまったから気持ちが敏感になっていたし、指先が命ということもあって、石膏の装具をつけるたびに、『ここが違う』『この部分に違和感がある』と細かに注文をつけていましたから」

 そして頰を緩めながらこうも言った。

「今思えば、指の腫れ具合に対応し、その都度、私の感覚に沿った装具を作ってくれた若宮さんの技術力にはビックリ。これぞまさに日本の技術力、という感じです。彼のお陰で、怪我を意識することもなくコートに立てました」