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竹下のトスを懸命に打とうとする江畑、新鍋、迫田…

 7月27日、ロンドン五輪が開幕した。12カ国がA、Bの2グループに分かれ、予選ラウンドは6カ国がそれぞれ総当り戦で、そのうち上位4カ国が決勝トーナメントに進む。

 Aグループ初戦の相手はアルジェリアだった。ストレートで難なく下すものの、第2戦のイタリアには1−3で負けた。この初戦と第2戦で竹下のトス、レシーブは微妙に乱れた。

「怪我をしてコートに入ったのは初めての経験だったから、自分の身体がどう動くのか予測できない部分はあった。フライングレシーブで左手を出せば上げられたボールに、本能的に右手を出したこともあったし、トスも大分ブレていたと思います」

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 いつもならオーバーで上げられるトスにも、アンダーを多用した。そんな竹下のプレイに「34歳という年齢のせいか、ボール下に素早く入れなくなった」と断じるバレー関係者もいた。

ロンドン五輪での一幕 ©文藝春秋

 無論、眞鍋は竹下の変化を誰よりも感じていたが、セッターを代える気は微塵もなかった。

「竹下でやると決めた以上、何の迷いもなかった。腹をくくっていましたから、外野の声は一切耳に入りませんでした」

 怪我に対する竹下の保護本能のブレーキを外したのは、アタッカー陣たちの踏ん張りだった。

 竹下が言う。

「私の乱れたトスを江畑や新鍋(理沙)、迫田(さおり)などの若いアタッカー陣が、顔を真っ赤にして必死に打とうとしているんです。そんな彼女たちの必死の形相に、今度はこっちが勇気づけられた。だから3戦目ぐらいからは、自分が骨折しているのも忘れてしまっていたし、とにかく目の前の1戦に勝って、メダルにたどり着くことしか頭にありませんでした」

 セッターが指を骨折し、トスを上げ続けるのは生体学的に不可能に思える。特に竹下は、親指、人差し指、中指の3本でボールから微細な情報を取り、それが正確無比なトスを生み出し、世界一のセッターと称されるようになっていたのだ。

 その掌はザラリとしている。繊細な感覚が狂うのを嫌い、ハンドクリームをつけたことがないからだ。爪はヤスリで整えている。手を水にもつけない。それだけ指先の感覚に気を遣っていた。そのうちの1本が使えなくなるとすれば、格段に情報量は減りボールの制御も難しくなる。飛行機が片肺飛行しているようなものだったはずだ。