文春オンライン

連載昭和事件史

「私は女王様だった」「少女になるにつれて美しいと言われ…」良家の子女として育った子爵夫人が踏み出した“ダブル不倫”の重い一歩

「妖花」鳥尾夫人 #1

2021/12/19
note

 本人にインタビューした「子爵夫人鳥尾鶴代 GHQを動かした女」(1992年)の著者でノンフィクション作家の木村勝美氏が「婦人公論」1992年3月号に書いた「戦後を奔放に生きた鳥尾子爵夫人の死」に頼るしかない。

 昭和史を華麗に彩った子爵夫人・鳥尾鶴代さんの葬儀が、年の瀬も押しつまった平成3(1991)年12月30日、東京・渋谷の雲照寺でしめやかに執り行なわれた。

 この記事によれば、亡くなったのは12月28日。死因は胃がんだった。その約10年前、乳がんを手術。1990年5月に吐血し、6月に胃の3分の2を切除。8月に退院したが、再発したという。満79歳だったことになる。

「鳥尾夫人といえば、美貌と才知をうたわれた話題の女性だけに…」

 彼女について報じた新聞コラムが1950年6月22日付読売朝刊社会面「いずみ」。これも死亡に関するうわさの話題だ。

ADVERTISEMENT

▽昭電事件の陰の女性として取り沙汰された鳥尾敬光・元子爵未亡人、鶴代さん(36)が自殺したニュースが21日昼ごろ、パッと飛んだ。
 

▽なにせ鳥尾夫人といえば、“学習院グループ”の中でも美貌と才知をうたわれた話題の女性だけに、各新聞社ともソレッとばかり世田谷、代々木、青山と転居先を追い回したが、青山南町6ノ135の自宅で「まあ失礼な」と柳眉を逆立てたご本人が現れてデマと判明。
 

▽「デマはこれで2度目よ。ほんとに悔しいわ。犯人をぜひとも探してちょうだい」と紅唇に泡を飛ばせたが、昭電関係の某氏の話によると、この朝、鎌倉―横浜間でこのデマを聞いたというから、震源地は“カマクラ族”らしい。

鶴代の話題を載せた読売のコラム

“カマクラ族”の意味はよく分からないが、旧華族など上流階級のことか。昭電事件と昭電疑獄とも呼ばれる。「別冊1億人の昭和史 昭和史事典」には次のように書かれている。

 復興金融公庫から昭和電工が巨額の融資を受けるに際し、同社社長・日野原節三が膨大な運動費と事件もみ消し費をばらまいた疑獄。1948(昭和23)年5月25日の警視庁による昭電本社家宅捜索に始まり、10月7日にはついに時の芦田(均)内閣が総辞職。戦後最大の疑獄事件といわれた。日野原のほか、元農林次官・重政誠之、大蔵省主計局長・福田赳夫(のち首相)、衆院議員・大野伴睦(のち自民党副総裁)、興銀副総裁・二宮善基、経済安定本部長官・元蔵相・来栖赳夫、さらに辞任していた副総理・西尾末広(のち民社党委員長)まで逮捕された。首相を辞任した芦田も12月7日には別の収賄容疑で逮捕されたが、日野原、来栖、重政らが有罪になっただけで、ほかはいずれも無罪になった。

 復興金融公庫は戦災復興のための資金を産業界に供給する国家金融機関で、1947年1月に設立。資金需要が殺到し、インフレをもたらす結果となった。