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 主人気に入りの倉持は若夫人の機嫌をとることも巧みである。夫人が姉娘と衝突して泣いたり怒ったりする時の唯一の慰め手は倉持である。家中の者が夫人のわがままに手こずる時は、ひそかに倉持に頼んで癇癪の虫をおさめにやる。ついには夫人自身で倉持を呼びにやって話し相手を命じる。植え込み一重しかない運転手部屋は(鎌子の部屋から)あまりに近かった。夫人と倉持とはいつしかただならぬ関係に落ちた。

 ここでも、2人の関係を語りながら、「わがままで癇癪持ち」という鎌子像が強調されている。この3月9日付朝刊の段階から「芳川伯爵家の若夫人は 何故情死したか」(東朝見出し)について、有識者の意見が紙面に載り始める。

「身分ある令夫人が抱えの運転手と情死をするなんて…」「一種の劣情狂」

 東朝に「上流子弟の憐(あわれ)むべき状態」の見出しで登場したのは、文部官僚で東北帝大(現東北大)、京都帝大(現京大)総長などを歴任した澤柳政太郎だ。

心中の真相をめぐって有識者の意見が飛び交った(東京朝日)

「男子の貞操は女子ほど進歩していない。完全なる一夫一婦が守られなければならない」と主張。女子学院初代院長で教育者の矢嶋楫子は同じ東朝で「不愍(ふびん)なこと 教育の不行届から」として「家庭教育に精神が伴わなかった」と論評した。

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 報知では「安閑と遊ぶ上流夫人」の見出しで女子商業学校(現嘉悦学園)の創始者・嘉悦孝子が「けしからぬことがあったものですね。身分ある令夫人が抱えの運転手と情死をするなんて馬鹿らしい」と一刀両断。鎌子を「一種の劣情狂」とまで言い切った。これが当時の知的女性に支配的な見方だったのかもしれない。

 10日付時事新報でも実践女学校校長の下田歌子が「欧米思想の流入で婦人にも危険思想が植えつけられつつある」と警鐘を鳴らした。

事件は新聞の社説でも取り上げられた(都新聞)

 3月9日発行の10日付都新聞は社説「一事一言」で「上流家庭の紊乱(びんらん=道徳・秩序などが乱れる)」を取り上げ「家庭の罪、主人の罪である。われらは切に上流のためにその家庭の廓清(不正を取り除く)を望む」とした。識者の談話にも見られるが、この事件に関する論評では、こうした「上流階級の腐敗の糾弾」が一方の主流だった。

 3月13日付時事新報の社説「家庭の危機」も、男の威厳の失墜と新しい女性意識の拡大が家庭の危機を招いているのは自業自得と厳しく指摘。特に上流階級は反省して対処する必要があると述べるが、実際は適当な改善策は見当たらず、お手上げという論調だ。