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 驚いて起きてきた元同僚の運転手らから芳川邸でお抱え運転手をしていたこと、若夫人に非常に気に入られ、皆が心配していたことなどが聞けた。社に戻って先輩記者らと協議したが、芳川邸に行った同僚記者は伯爵に面会できず、心中した女が鎌子である確証はなかった。

 しかし、運転手仲間からの証言で広瀬は鎌子と確信。先輩らも同意して記事を8日朝刊に突っ込んだという。いまならまずあり得ない取材方法だが、当時はまだ問題にならなかったのだろう。

「あなた一人は殺しません!」

 各紙は3月8日付夕刊で後を追った。内容はほぼ共通しているが、「戀(恋)は曲者(くせもの)」という萬朝報の見出しが目立つ。さらに、国民新聞が「千葉心中の若き男女はー」と、のちに残る「千葉心中」という言葉を見出しで初めて使った。報道で東朝になかった事実は――。

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「千葉心中」という言葉が初めて登場した国民新聞

1)鎌子の身元が分かったのは、持っていた遺書から

2)旅館の宿帳には、倉持は実際の住所、氏名、鎌子は「同人妻お時(24)」と記されていた(萬朝報)

3)旅館の女将は、2人が「(午前)2時ごろまでは何事をか話し続けていたようでした。時々(男が)女の人の方を脅かすような声が漏れました」と話した(報知)

4)倉持は三井物産に勤務していた時、「寛治氏が自動車で同会社へ勤務する往復に自動車を操縦して、非常に寛治氏に気に入られて」「月俸45円(現在の約14万8000円)に月手当10円(同約3万3000円)で同家の運転手に抱えられた」(報知)

 中では夕刊紙の都新聞が、列車の中村辰次郎機関手の談話として、倉持の最後の言葉を載せているのが注目される。

時事新報に載った事件の現場写真

 列車が進んで行くと、男女はしっかり抱き合い、一つになってうずくまっていたので「オヤ、変だな」と思っていると、突然男女は一緒に線路内へ飛び込み、あわやと思う間に男女とも跳ね飛ばされ、女は倒れたが、男は傷が浅いので、女の上に寄りかかり、泣きながらやや高い声で「あなた一人は殺しません」と、女の耳に口を当てて叫び、やがてそこから程近い女子師範学校の土手に行ってのどを突いたのです……。

 都新聞は一方で「鎌子は入院後、容体が刻々危なくなって、食物は一切のどを通らず、8日夜はうわごとでしきりに男の名を呼んでいるばかり」と記している。また、同紙は、倉持の事件直前の言動を岡喜七郎から聞いて記している。