昭和から令和へ時代が移り変わっても、子どもたちが持つ好奇心の色は決して変わらない。日光写真の一件は、齋藤にそんなことを再確認させた。
子どもの「興味の引き金」は何か?
「読者や自分の子どもを見ていても思うんですけど、小学生たちの瞳の奥にあるものって実はそんなに変わっていないと思うんです」
時代ごとの人気キャラクターなど、表面的に変わったことはたくさんある。結果的に雑誌が売れなくなった時期があったのも事実だ。だが、子どもたちの「何かを知りたい」という好奇心や「新しいことが分かった」という喜びは、普遍のものなのだ。
「自分が小学生だった時に日光写真で感じた“日に当てるだけで絵が出てくるということの驚き”みたいなのは、やっぱり今の子たちも感じてくれるんだなと」
子どもたちの好奇心に応え、琴線に触れる雑誌であり続けるヒントは、どの時代にも隠れている。出版社が営利企業である以上は雑誌が売れることは大切だが、それ以前に子どもの「興味の引き金」を見つけ出し、それを引ける雑誌でなければいけない。
それは、社史で目にした先人たちが紡いできた理念に通じるものでもあった。
いま興味を持っていない分野にも、面白いものは眠っている
「小学1年生の頃って、みんな勉強が好きなんですよ。それがだんだん嫌いになっていっちゃう。やっぱり教科書を詰め込んで、問題を解いて…という作業が出始めた時から嫌いになるのかなと思うんです。そうならないように、問題を解いて正解を求めるだけじゃなく、自然と雑誌を読んでいるうちに興味の裾野自体が広がっていくのが理想的ですね」
雑誌を作るうえで、「子どもの好奇心に応える」という先人たちの作った土台に齋藤が乗せたことがあるとすれば、「その好奇心を持てる範囲をいかに広くするか」ということだった。
子どもたち自身がいま興味を持っていない分野にも、面白いものは眠っている。だからこそ、そこに向かうハードルはできるだけ低くするべきというのが齋藤の考えだ。
「たとえばある中堅の編集部員が『子どもにページの隅々まで読み込んで欲しい』と、ページいっぱいに細かく企画を詰め込んだことがあったんです。でも、僕はもっと企画を絞ってスッキリしたページにするように言いました。たしかにネタの詰まったページは熱量も高くて、面白い。でも、その企画に興味のある子はいいんだけど、そうじゃない子にとってはハードルが高くなりすぎてしまうんです」