「実は、悩んだ末に辞令を受けて編集長になった時、初めて小学館の社史を読んだんです。これまでの会社員生活で社史を読もうなんて全く考えたこともなかったんですけど、こうなった以上は原点を知ることも必要かと思って」
資料室の隅っこで、あまり触られてこなかったであろう社史。それを引っ張り出してみると、そこにはこんなことが書いてあった。
「創業者の相賀武夫が言った学習雑誌の編集理念が『伸びてゆく少年少女の向上心に十分なる満足を与へ、其の天分を自由に助成発育するを以て第一義とす』ということなんだそうです」
嚙み砕いて言うならば「子どもたちの好奇心を満たし、本来持つ能力を自由に伸ばしていく雑誌を作ることこそが学習雑誌の理念」というところだろうか。
100年前の大先輩は、そんな風に言っていたのである。
雑誌を“売ること”だけに傾倒しなかったがゆえの好調
「子どもにおもねるのではなく、子どもの好奇心に応えながら、その発想力や学習を支えていく――それっていまでも通用することだと思うんですよね。いろんな時代を経てきたけれど、雑誌を売ることだけに傾倒しすぎず、『子どもたちの好奇心に応えよう』という100年前の原点を変えなかった。シンプルなことですけど、それが令和の時代のいま、読者の子どもたちや親御さんに受け入れられているんだと思います」
たとえば去年、反響が大きかった付録のひとつに日光写真があったという。
児童学習誌において付録が占めるウエイトは大きい。その人気次第で読者の反響も、売り上げ部数も大きく変わる。
陽が当たることで絵が浮き出てくる日光写真は、まさに昭和を代表する学習誌の付録だった。ただ、近年はプログラミングやAIなどの最先端技術をテーマにした付録たちに押され、その姿を見ることはなくなっていた。
時代が変わっても変わらない、子どもたちの「好奇心」
「僕は昭和に生きてきた人間なので、懐かしさこそあれ、日光写真が新しいコンテンツだとは思わなかった。でも、平成生まれの人にとってはむしろそれが新しいんですよね。去年の号でも、若い編集部員が興味を持ってくれたのがきっかけで付録になりました。
でも、その付録に適した印画紙が国内では見つからなかった。そうしたら『中国の工場で印画紙を作れるらしい』という話をその編集部員が聞きつけてきて、なんとか発注できた。平成生れの若者が、令和の時代に右往左往しながら昭和の付録をなんとか実現できるように動き回る。いや、すごいなと思いましたね」