自ら前に出るタイプではなかった仲本さんだったが、意外な一面もあったと田村さんは語る。
「集合写真を撮る時は、真ん中はいかりや長介で、仲本さんは後ろから顔をのぞかせていた。ただ、『体操の時間』のコーナーで、キャンディーズがバク転などをするときにそっと手を貸すことが嫌味なくできる人だった。そして、会議でいかりやさんが、仲本さんに『おまえ何かあるか?』とネタについて聞かれると、しっかり答えられるものは持っていた。
10年くらい前、ある方を偲ぶ会で会ったのが最後になってしまった。特に会話を交わしたわけではなく、もくもくと一人で過ごしている姿が今でも記憶に残っている。昭和を明るく照らしていたスターがまたいなくなって、寂しい気持ち」
W“こうじ”になってしまい従兄弟は困惑
仲本さんとは従兄弟で、沖縄で沖縄三線などの音楽活動をしている興次さんは、当時を懐かしそうに思い出を振り返る。
「興喜は頭がよく、あいつの父親はいい会社に勤めさせようと思っていたけど、ビートルズやエルヴィス・プレスリーが好きで、内緒でバンドをしていたことがバレちゃってね。
興喜はあまり話も上手くなかったし、おとなしかったから、父親の反対を押し切ってザ・ドリフターズに入った時は驚いた。芸名もハナ肇さんにつけてもらったそうだけど、僕と同じ“こうじ”になってしまったら大変よ。ドリフが大ヒットして、僕が免許センターなんかに行くと、“なかもとこうじ”さんと一緒ですねっていじられたりしてね。
最後に会ったのは10年くらい前だったと思う。でも、興喜は幸せだったと思うよ。夢が叶って売れて、忙しい時は全国飛び回って、たくさん仕事をしたんだから。ゆっくり休んでほしい」
(後編へ続く)
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