定刻になって師の呼ぶ声に、一同は何喰わぬ顔をして解剖室に戻り、手に手にメスをふるって内臓切開に取りかかったが、元気のよい学生の1人が、いやにふくらんでいる大きな胃袋を力まかせに切り開いたら、ドロドロと流れ出した内容物、赤子の頭巾がある手がある。女房の引きむしられた髪の毛がある。悪臭芬々眼を覆う惨状に、学生達はワーッと叫んで飛びのいた。そして土気色になった熊肉党は脱兎の如く屋外に飛び出し、口に指をさし込み、目を白黒させてこわごわ味わった熊の肉を吐き出した。
後に訪ねて来た内田瀞が、「あの肉は酸味があって堅かったのゥ」とありし日を思い起して述懐していたが、事実何とも堅い肉で、口へ入れて見たが、私にはそれをのみ込んで胃の腑に収める勇気は出なかった」
人喰いヒグマの胃袋から出てきたのは…
もう一人、解剖に参加した学生、黒岩四方之進の回顧が『小樽新聞』(大正15年5月19日)に掲載されている。
「熊公の大きな胃袋の中から出たものは、まず第一番に赤い布片で、次には縄付きのままの鮭の頭が飛び出し、その後からは長い頭髪のついている食われた主人の頭の一部や、赤児の両手や竹輪のように刻まれている腕の断片やら続々と露出して来た(中略)その時黒岩さん午前中に剥製をおわって、その日の昼飯の折にはその熊の肉を焼いてたらふく食べたという(当時の思い出ばなし 熊公の胃袋から長い頭髪 さすがに猛者連もこの時ばかりは 一期卒業生 黒岩四方之進氏談)」
最後に加害熊の剥製であるが、現在は劣化が著しいため、北大植物園内の倉庫に保管されており、一般の観覧には供されていない。
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