営業開始は100年前。当時は「待ってくれ」と大声で叫ぶと…
ようやく実現したのは、1914年に設立された淡路鉄道の計画だ。会社設立以前の1912年に洲本~福良間の免許を取得しており、1914年に着工。資金難で工事中断もあったが、1922年に洲本口(のちの宇山駅)~市村間で営業を開始した。全線が開業したのは1925年のことである。
これで近代のシンボルたる鉄道が淡路島にもやってきたということになる。が、実態としては田舎町を走る牧歌的な鉄道路線だったようだ。地元の学生が駅に駆けつけて列車に乗ろうとしたが、ちょうど出発したばかり。待ってくれと大声で叫ぶと、ほどなく列車が停まって乗せてくれた……などというエピソードも伝わっている。
最初は蒸気機関車、ガソリンカーの導入を挟んで電車が走り出したのは戦後の1948年からだ。蒸気機関車時代には、ちょうど中間あたりの急坂では登り切れずに停まってバックしてしまうようなことも少なからずあったという。この坂を乗り切るために、乗り合わせたお客が列車を押したりもしたのだとか。
お客の中心は学生さん。地方の鉄道の最大のお客が学生というのは、いまも昔も変わらない。誰が決めたのか、前の車両は男子生徒、後ろの車両は女子生徒と分かれて乗るのがルールになっていた。
戦前から、電化された戦後しばらくまでは、道路状態も優れずマイカー社会も未到来。誰も彼もが淡路鉄道を利用する時代で、2両の列車が満員状態になるのも珍しくなかったようだ。
朝の通勤時間帯は15分間隔で走っていたというから、かなりの高頻度運転。いかに地域に欠かせない鉄道だったか、よくわかる。貨物輸送も扱っており、タマネギなんぞも運んでいたのかもしれない。
そして「クルマの時代」へ。淡路島から鉄道がなくなって半世紀
ただ、あいにくクルマの時代がやってくる。するとお客はみるみる減ってゆく。会社としても路線バスに力を注ぐ方針になり、赤字が拡大するばかりの鉄道はお荷物になってしまった。そうして1時間に1本程度の運転本数に減ったまま、1966年で廃止されてしまったのである。
それからいまに至るまで、淡路島に鉄道はない。計画としては、新幹線を兵庫から徳島まで通すという壮大なものがあって、現に大鳴門橋は鉄道が通れる構造になっている。
四国新幹線を熱望する声もなくはないが、いまのところ実現の可能性はほとんどないといっていい。淡路島にとって最初で最後の鉄道が廃止され、それから半世紀以上、なのである。