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“名人・渡辺明の93分”が意味すること 藤井聡太竜王との「足を止めて打ち合う珍しい展開」で大きな1勝

“名人・渡辺明の93分”が意味すること 藤井聡太竜王との「足を止めて打ち合う珍しい展開」で大きな1勝

プロが読み解く第81期名人戦七番勝負 #3

2023/05/24

 渡辺は、この経験値の差を生かそうとした。

「序盤は両対局者とも、少しでも局面の可能性を広げよう、得しようと繊細に駒組みしていたのが印象に残りました」(出口六段)

 さて、渡辺が先に囲いを完成させ入城した。これで先手が先攻して……とはならなかった。

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 角道は止まっていても、飛車を悪い位置にずらされていても、それでも藤井は先に攻めた。後手だからとか、無難にとかという考えは藤井にはない。

2日目は双方「攻め」の応酬だったが…

 2日目、渡辺は玉頭に垂らして攻め合いを選んだ。ここまでの2局は距離を取っていた渡辺だったが、本局では自玉が飛車角の射程に入っていても、距離を詰めての打ち合いを宣言したのだ。

「名人の歩の垂らしが印象に残っています。『攻める』という強い意志を感じました」(出口六段)

昨年の叡王戦では挑戦者になった出口若武六段 ©文藝春秋

 藤井も負けじと猛攻する。歩の手筋を駆使して矢倉を崩し、飛車をダイナミックに動かして中央にさばく。対して渡辺が角交換を迫った局面がターニングポイントとなった。角交換すると渡辺の飛車の利きが通るので、角を逃げるか、切り飛ばすかの2択だ。

 藤井は角切りを選び、35分の考慮で歩で飛車を叩いて位置をずらした。ここまでは自信ありげな対局態度に見えた。ところが、飛車で取られた後に異変が起こる。当然の応手なのに、再び考え込む。やや肩が落ちている。第2局のようにガックリとはしていないが、雰囲気がおかしい。何か見落としがあったのか?

「控室では角を出れば良いかなと検討していましたが、感想戦では2人とも角切りで読みが一致していたんですよね。それが意外でしたが、対局者の視線は違うんでしょうね。

 藤井さんは角を切った後に、いくつか有力な手段があるので、どれかは良くなるだろうと思っていたという感想でした。ただ、変化手順の中で渡辺さんに妙手があり、それを軽視したのかもしれません」(北浜八段)

 やがて47分もの長考で飛車を成り込んで寄せ合いに。先手玉には詰めろがかかる一方で、後手玉は角を捨てて飛車を成り込んでも詰めろではない。

93分の長考で▲3三角と打ち、勝負が決まった

 この将棋、香以外の駒はすべて働いているが、渡辺の右銀だけが取り残されていた。だが、このお荷物のような銀が最後に大仕事をする。

 竜取りに底歩を打ち、銀を取らせたのが絶妙手。そして桂を跳ねて角で竜取りにし、竜の位置をずらしてから角を切って飛車を成り込む。桂跳ねが入ったのが大きく、後手玉が詰めろになっている。駒損している相手に銀を渡す、ありえない手が成立するとは、名人戦の舞台でこんな妙手に出会えるとは……。