「『なぜ?』帰ってこられなかったのか」「『なぜ?』集団自決しなくてはいけなかったのか」という問い

 長い長いインタビュー、こちらに疲れを見せずほほえみ続ける大島。実は、癌を患っている。語れる機会も時間も限られている。そう考え、今回長時間にわたる取材に応じてくれた。昭和20年の夏、9歳だった少年は、78年経っても消えない記憶を微笑をたやさず一生懸命に話し続ける。その彼が、帰り際、一瞬、声をつまらせたのは、ある大学の授業内で、戦争体験を語ったときのこと。

「私たちがお話しするときは、(講演参加者は)いつも満州体験者の人ばっかでしたよ。今までは。それが、もう、そういう年代の人がいなくなって、私が最後の世代です」

 目元を押さえ、こうしめくくった。

ADVERTISEMENT

「大学で話すときはね、授業中だから。学生さんは必ず、聞いたことにコメントを書いて提出する。授業中そのコメント見てね……私が話したことなのに、私は、涙止まんない。皆さんがね、ほんとに真剣に聞いてくれて」

病を押してインタビュー取材に応じてくれた大島満吉氏

 この国の後押しによって大陸に渡った人々は終戦時155万人に達していた。内、約20万人の人々が、帰ってくることができなかった。「なぜ?」。それを、大島は生涯かけて若い世代にも伝え続けている。応え、考える世代が生まれている心強さの涙。

 これから、我々の国の平和をどう保っていくか考えるとき、いきなり閣僚や提督になりかわって考えるのは待ってほしい。まず、美津子ちゃんや蓉子ちゃんの目で、ものを見、「なぜ?」から出発していただきたい。

 本日8月15日、黙とうをささげるというのは、まぶたを閉じた暗闇のなかで、落ち着いて考えること。それが祈りなのだと思う。それが帰ってこれなかった子供達の霊をわずかでも慰めることであり、二度と繰り返さないと、彼女たちと私たちの、約束になるのだ。

・参考文献
『葛根廟事件の証言 ―草原の惨劇・平和への祈り』(興安街命日会編 新風書房)
『流れ星のかなた コルチン平原を血に染めて』(大島満吉 大嶋宏生著)
『炎昼 私説 葛根廟事件』(大櫛戊辰著 文芸社)

INFORMATION

今回取材に応じてくれた大島氏をはじめ、旧満州などからの引揚げを体験した方々の証言ビデオが平和祈念展示資料館にアーカイブされている。ぜひご覧いただきたい。
https://www.heiwakinen.go.jp/library/video-hikiage/