近年、驚くことが増えた。SNSで見かける、戦争や戦争をテーマにした作品への視線のことだ。野坂昭如原作・スタジオジブリ制作の映画『火垂るの墓』の捉え方には一瞬、呆然となった。
主人公の少年・清太を責める書き込みが目立ち、そこに数千の「いいね」が付く。たしかに彼は勤勉さも礼儀もない少年。4歳の妹と空襲で焼け出され親戚の叔母さん宅に2人して身を寄せるものの、ろくに御礼は言えず、学校へも行かず働きもせず、食事は減らされてしまう。SNSの人々は、おばさんは悪くない、清太が苦境に陥るのは「自己責任」なのだという。
どちらか一方が、なっていない、なっている、という次元の話。この国は平和なのだとあらためて実感するほかない。世間にありふれた生意気な少年と、そんな不遜な子どもが育てるしかない少女。どれほど無礼だろうとそれでも、ほんとうは大人や社会が2人を包み、守るべきなのに、守れない。肉親のおばさんでさえ守れない。
14歳と4歳、2人の子どもが死に追いやられていく静かな恐怖と、大人のエゴイズムの醜怪さ。自身の体験をもとに野坂が描き出した戦争の様を、かつて世間は素直に読み取れていたはずだ。戦後80年に迫る今、2人の子どもの暮らしを想像できないだけでなく、「自分も同じ状況ならあのおばさんになるかもしれない」と背筋を冷やす人が、減った。
今や爺ちゃん婆ちゃん世代も戦後生まれ。身近にいた戦争体験者はもういないのだから仕方ないのかもしれない。こんなときこそメディアの出番のはずだが、本格的な戦争特番は地上波テレビでは昔ほど放送しない。一方、ウェブ上で見かけるのは、戦時下の政治家の動きを追う政局風記事や、大海戦の模様など戦闘を追った戦記物風記事。閣僚や提督の気持ちで戦争を眺め、あのときこうすれば、と振り返るのも大切に違いない。ただ筆者は、14歳と4歳の、「子どもの目」になって、今こそ再び、あの戦争を見ていただきたいと願う。
終戦間近、満州国の平原で起きた凄まじい殺戮「葛根廟(かっこんびょう)事件」
まだ、「子どもの目」を語り継いでくれる人がいる。
大島満吉氏。昭和10年生まれの87歳。78年前、終戦前後の時期、9歳の大島は言葉にできない体験をした。それをおして、言葉にし続けている。子どもだった彼の目に次々に映った光景は、私たちがいつでも考えねばならない問いを、提示し続けていると私には思えてならない。
語る証言の壮絶さとミスマッチな微笑み。それは聞く者が身構えないよう、そしてただ「悲劇」と捉えて終わらないよう、配慮しているように見えた――。
昭和20年8月14日、日本政府がポツダム宣言受諾を連合国に通達し、戦争終結に向かっていた日の正午近く、満州国(現・中国東北部)の平原では、凄まじい殺戮(さつりく)が始まっていた。満州国とソビエト連邦との国境近くの草原で、約1200人の人々が戦車の銃砲撃と兵士の機関銃に撃たれ、キャタピラで踏み殺されたのだった。