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「H(取材時実名)さんっていう奥さんが、恵子ちゃんっていう国民学校2年生の娘と一緒にいた。恵子ちゃんは足を撃たれててね。『痛いよ、痛いよ、お母さん痛いよ』って泣くんだよ。お母さんもなんとかしてあげたいんだけど、方法もないんだよ。それで……お母さん、首を締めちゃった」

 攻撃によって、Hさんの夫、そして大島と同級生の定夫君もすでに殺されていた。精根つき果て、到底生きのびられないと観念した彼女は、恵子ちゃんの目の前で、5歳の息子、生まれたばかりの赤ちゃんの首を手ぬぐいで――。大島の兄、大嶋宏生が残した手記にこの母娘を記した箇所がある。

 この様子の一部始終見ていた恵子ちゃんは自分も殺されると悟り「母ちゃん。あたいは死にたくないよ。死にたくないよ」

 

 すでに足に重症を負い死の恐怖を味わった恵子ちゃんは、死を恐れ母に抵抗し泣き叫び哀願していた。でもおばさんは悲壮な表情で無理矢理絞め殺してしまった。(『コルチン平原を血に染めて ―少年の目撃した葛根廟事件』大嶋宏生著 全国興安会通信社)

 足がぶらぶらとなり、出血多量、助からないほどの深手を負いながら首を絞められ、グッタリした少女の生命力は、それでも尽きなかった。大島は言う。

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「それがね、生き返っちゃったんだよ」

 前掲書から続きを抜粋する。

 死にたくない執念からか20分位すると恵子ちゃんは息を吹き返し、またおばさんの所へ足を引きずりながら「母ちゃんあたい死にたくないよ」

 

 おばさんはまたも恵子ちゃんを捕まえ首を絞める。恵子ちゃんは生きたい一心で母に頼めば今度は許して貰えると思ったのだろう。

 

「死にたくないよ」

 

「今死なないと死ぬときはないのよ。お母ちゃんもあとから行くから死ぬの!」

 

 恵子ちゃんは泣き叫んで最後の土壇場まで暴れていたという。

 7歳の女の子がなにか悪いことをしただろうか。助からない傷を負い、母に2度までも手にかけられることを。では、母だけが悪いと言い切れるか。できないとすれば、では誰が、何が悪かったのか? この人々に少しでも「自己責任」があったろうか。

戦前戦中、大勢の日本人が旧満州へ渡った。もちろん大勢の子供たちがいた。写真は満蒙開拓団員の子どもたち(写真提供=平和祈念展示資料館)

けが人、女性、子どもが次々と自決し、次は自分と弟の番が…

 壕のなかで進退窮(きわ)まった人々は100人あまり。うち動ける数十人が決死隊としてどこかへ去った。結局、傷付いて身動きが取れない人、そして女性と子どもは、全員、自決と決まる。リーダー格となっていた在郷軍人の幾人かで決めたようだ。暗い壕のなかで人々の自決が始まる。大島の母も覚悟を決めた。撃たれて倒れていた在郷軍人の傍らに転がる軍刀に手をのばすと、

「その男の人、死んでると思ったの。でも『奥さん、早まっちゃいけない。生きるんだ、早まっちゃいけないよ』って。その人は自分は死ぬのは分かってんだけど。『あんたたちはどこも怪我してないんだから頑張んなさい』って言うんだね。だけどね、もう何を言われても、母は(生きる)道がめっかんなかった。無視して、日本刀を借りた」

 大島の母は、逃避行中ずっとおぶってきた2歳の美津子ちゃんから手をかける。お聞きしなければならない。――妹さんの、その場面は、覚えていますか。