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 9月15日付読売ははっきり「千里眼の失敗」と断じた。翌9月15日は記者を対象にした実験が旅館などで行われた。同じ東朝の記事によれば、記者が3文字を書いた名刺を錫のつぼに入れ、さらに箱に入れたのを10分足らずで的中させた。翌日付の各紙も今度は「成功」「的中」と報道。報知は「千里眼婦人の驚く可(べ)き能力」の見出しを付けた。

「千里眼」に記者も驚いた(報知)

 ただ、東朝によれば、この日の実験に参加したのは一般紙では東朝を含め3紙だけ。当時部数トップを競っていた報知、國民新聞や時事新報、萬朝報などは取材には来ていても参加はしていない。「千里眼」を“キワモノ”と見ていた新聞が多数派だったということか。14日の「失敗」が輪をかけたのかもしれない。このころの報道は新聞の向き合い方によって記事のタイミング、扱い、内容がかなりバラバラで信頼度はいまひとつだ。

実験は失敗だったのか? 物理学界の“大御所”は「残念」とコメント

 9月17日付東朝は「透覺實驗(透覚実験)の間違 疑問漸(ようや)く解決す 山川理学學博士談」の見出しで14日の実験の謎についての説明を載せた。間違いの原因は次のようだった。

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 実験の前夜、福來博士は練習用として透覚する3個を千鶴子に渡し、千鶴子はそのうちの1個を大橋邸に持ってきていた。千鶴子は福來博士が渡した物と私が渡した物と2個を持って透覚しようとした。どういうものか、私が渡した方は明瞭に分からないので、福來博士を透覚して一同の前へ出した。「盗丸射」とあったのがそれだ。しかし「盗丸射」を透覚したのがその場だったのか、それ以前だったのか、福來博士も今村博士も知らない。千鶴子自身も分からないのではないか。

 こんな間違いのために実験が不完全に終わったのは甚だ残念。もし悪意に解釈すれば、大橋邸へ来る前に開いて見たのではないかと思われるが、私は全くそんなことはあるまいと信じている。しかし、第三者に向かっては、実験は完全なものと言うことはできない。 

 物理学界の大御所だけに慎重な言い回し。山川は千鶴子の“超能力”に強い関心を持っていたといわれるが、この件からうっすらとした疑問を持ち始めたのは間違いないだろう。ともかく、これは何かの間違いとして、もう一遍実験した方がよかろうと、日を改めて再び実験することになった。