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 こうした報道もあって「千里眼」は広く世間の話題になり、各地で「千里眼」が続々と登場した。「富山に5歳の千里眼」(9月13日付名古屋新聞)、「岡山にも千里眼」(12月28日付東朝)、「和歌山にも千里眼」(1911年1月8日付東朝)……。果ては「白耳義(ベルギー)の千里眼」(同年1月24日付東朝)まで。

 1月15日付九州日日は「御船千鶴子の出現以来、今日まで各地に現れた千里眼は目下15人に達している」とし、名前、住所を列記している。あっという間に名前を聞かなくなった「千里眼」もいれば、一定期間“活躍”した「千里眼」も。

.各地に登場した「千里眼」は15人に上った(九州日日)

40歳女性の「千里眼」が新たに登場する

 その中で御船千鶴子に並ぶ「千里眼スター」が登場する。

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 新たなる千里眼婦人 熱心なる敬神家 十中の八九迄(まで)は的中

 香川県丸亀区裁判所判事、長尾與吉氏の夫人・郁子(40)は数年前から地震、火事などを予言してことごとく的中。しばしば人を驚かせてきた。御船千鶴子の透視実験を知り、自分も実験したところ、深思黙考のうえ、何の苦もなく透視することができた。

 その後、一家の中で極めて秘密に、判事や令嬢らが立ち会い、小箱に名刺や紙片に文字を記したり物品を入れたりして度々実験し、十中八九まで的中した。そのことがいつか評判になり、裁判所の所員らが時々来て実験。皆その能力に驚いた。

 20日午後3時から、検事や医師、新聞記者らが立ち会って実験会を開いた。郁子の透視法はまず清水で口をすすぎ、2~3分間深呼吸をしてから透視する。当日は、立会人は八畳間に、郁子は六畳間で机にもたれ、その間隔は約2間(約3.6メートル)。立会人の1人が別室で紙片に文字を書いて箱に入れ、郁子の前の机の上に置いたところ、郁子は黙想1分間で紙片の文字は「博愛」だと透視。的中させた。同様に実験を続け、「春花秋月」の4文字は的中させたが、その他の実験では不完全な結果や失敗もあった。

 郁子によれば、面前で立会人が雑談したり物音がしたりしても透視の妨げにはならない。かえって、立会人が郁子の透視がどうか、固唾をのんで待っているような時は精神統一が妨げられることがある。透視する物の前に座って黙想すると、文字や物体だけがこの世にある唯一のもののように判然と現れる。その間の精神は何ともいえぬという。郁子は天照皇大神宮(伊勢神宮内宮)を信じ、毎朝神前で黙想しているが、その時は必ず大神宮が面前に現れる。透視ができるのも、全く大神宮の信仰のおかげだと語る。

 10月23日付東朝は顔写真入りでこう報じた。(新聞によって「いく子」「幾子」などの表記もあるが見出し以外「郁子」で統一する)