彼女たちを襲った“最悪の悲劇”
1月20日付九州日日の報道。
熊本の千里眼婦人御船千鶴子 劇藥(薬)を仰いで自殺す
千里眼の開祖としてその名が天下に現れていた宇土郡松合村、御船千鶴子(26)は一昨日午後3時ごろ、熊本市外本山村(現熊本市)、清原猛雄氏宅で重クロム酸をのんで自殺を図り、医師の診察を受けていたが、昨日午前5時前に絶命した。
重クロム酸は強い酸化剤で写真印刷や爆薬の原料などに使われた。長尾郁子の登場以後、表舞台から遠ざかっていた中での寂しい死だった。同紙には、深夜ふいに家を出て市中を徘徊したという井芹経平・濟々黌長の談話が見える。
同日付東朝や報知には、福來が「たぶん家庭内の不和が原因」とし、今村が「一部の学者が詐欺師などと無責任なことを言った」と千里眼否定派を批判した談話が載った。死についていろいろ取り沙汰されたが、原因は不明。報知では、郁子が目を泣きはらして「言うに言われぬ悲しさが一時に胸元に込み上げて、覚えず涙があふれ出るのです。原因を知りたくて透視をしようとしたのですが、精神統一ができません」と語っている。
その郁子もそれから1カ月余り後の2月26日、急死する。27日付読売の記事は――。
郁子夫人逝く 學界の疑問遂に解けず
丸亀の千里眼婦人として知られた長尾判事夫人・郁子(41)は先月初旬、風邪に冒され、のち肺炎に移行。薬療かなわず26日午前10時、ついに死去した。かくして一時学界を騒がせた透視問題も、そのままに暗中に葬られることとなった。
同じ日付の報知には関係者の談話が並べられている。見出しだけ見ると「私は念射(写)は信じませぬ」(井上哲次郎)、「念射の黒幕は誰か」(藤教篤)、「實(実)に残念です」(今村新吉)、「万事休す」(福來友吉)。こうして短かった「千里眼の時代」は終わった。