文春オンライン

2018/04/23

放っておけば今後も自他に対する重大な人権侵害が続く

 読売新聞はさらに、20日付朝刊掲載の社説でこう書いた。

〈取材で得た情報は、自社の報道に使うのが大原則だ。データを外部に提供した記者の行為は報道倫理上、許されない。

 取材対象者は、記者が属する媒体で報道されるとの前提で応じている。メディアが築いてきた信頼関係が損なわれかねない〉

 しかし、今回の音声データは、「取材で得た情報」というより、取材の場で受けた被害を記録した証拠である。

 しかも、自社が報じず、放っておけば今後も自他に対する重大な人権侵害が続くと予想される中、その証拠を抱え込むのではなく、事実を世の中に知らしめるために使うことは、被害者の行いとして正当であるばかりでなく、ジャーナリストとしてもまっとうな行為ではないのか。

辞任を表明し、記者団の取材に応じる福田次官(左) ©時事通信社

 私たちフリーランスの記者だけでなく、新聞社やテレビ局、出版社などの組織に所属する記者も、もちろんジャーナリストである。会社員として組織に忠実である以上に、報道を通じて、人びとに事実を知らせ、様々な問題解決に役立ててもらうことこそ、ジャーナリストの倫理に適う、と思う。

 読売は、会社が適切な対応をしない以上、彼女が諦めて被害を自分の胸に納め、証拠も表に出すべきではなかった、と言いたいのだろうか。

人権が損なわれながら維持される「信頼関係」とは

 今回の一件が報道された後、多くの女性記者が取材の過程でセクハラ被害に遭った体験を明らかにしている。取材先でいきなり胸をわしづかみにされるなどの被害を受けながら、「取材先との信頼関係を損ねる」ことを恐れ、あるいはそれを懸念する上司に指示されて、泣き寝入りを強いられてきた体験も語られている。このように、記者の人権が損なわれながら維持される「信頼関係」とは何だろうか。今、まさにそこが問われているのだ。

 この社説は、記者を守らなかったテレ朝を批判する。それ自体は適切な指摘だと思うが、それでは聞きたい。自分の会社には、取材先でセクハラを受けながら、黙って堪え忍んできた記者は1人もいないと言い切れるのか。これを書いた論説委員は、あまりに現場を知らないように思えてならない。

 各メディアは、テレ朝を批判するだけでなく、取材先から自社の記者が被害にあったことがないかを確かめ、記者たちを守るためにどうするかを考えるべきだ。その際、くれぐれも、女性記者を現場に出さない、というような後ろ向きな対策にならないようにと願いたい。

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