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この時の経験は、後のヨーロッパ市場改革に大きく役立つことになる。

そして、30歳になった和田さんは父親から「そろそろ戻ってこないか」と声をかけられる。父親と一緒に仕事をする気にはならず、「戻るなら社長としてじゃないと戻らないよ」と提案すると、父親はそれを承諾した。

ロンドンを拠点に「足で稼ぐ営業」

2008年12月。40歳になった和田さんは、単身ロンドンへ乗り込んだ。

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先述した「コーヒー味のお吸い物」との出会いから4年が経ち、和田久の経営は弟に任せてヨーロッパでの市場開拓に着手した。

まず、ロンドンの取引先から空き部屋を借りて、小さな工場をつくることにした。日本のかつお節は、EUの規制により持ち込みが禁止されていたため、ベトナムの業者に依頼。ベトナムで獲れたカツオを日本式の製法で加工し、ベンゾピレンが付着している表皮部分を削り落とす。検査を通過したものだけをロンドンの新工場で花かつおにして、販売した。

ロンドンに移住してからも、和田さんは得意とする"足で稼ぐ"営業スタイルを貫いた。車にかつお節を積んで、ロシア以外のヨーロッパ各国をひとりで回った。時には車で9000km走ることもあった。日本からドイツまで横断できるほどの距離である。

「飛び込み営業も店頭販売も、できることは可能な限りなんでもやりました。飲み屋で隣に座った人と『ヨーロッパでかつお節作ってるんです』と雑談して、仕事に繋がることもありましたから」

日本で営業していたときと違い、ライバルがいなかった。和田さんは自らの足を使い、地道に取引先を増やしていった。

「営業に行って『かつお節を使っている』と言われて確認すると、だいたいうちのが入ってました。『それ、私たちが作っているかつお節です!』と話し、まだ使っていないお店には、『ヨーロッパで手に入るんですよ』と説明して回って。そしたら、面白いねって興味を持ってもらえました」