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落とし穴から引き上げてくれた救いの手

そのため、工事はなかなか進まない。その間にも在庫は減り、取引先からは「かつお節を早く持ってきて」と催促の連絡がくる。何度も設計変更を余儀なくされ、見積もりが上がり、借金だけが増えていった。

「当初1億円以内で工場設備を整える予定が1億5000万円まで上がり、全部言われた通りにしたら下手すれば3億円ほどの出費になってしまう。これ以上は無理だ……と工事を途中で中断し、諦めることにしました」

そこに、救いの手が差し伸べられた。

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うまく進まない工事の話を聞きつけ、スペインのビーゴにあるカツオの取引先の会社が、「スペインでやらないか」と声をかけてくれたのだ。スペインの許可を取るため、すぐにグダンスクからビーゴまで車を走らせた。ポーランドを背に、ドイツを通りフランスを抜け、3000kmの距離をひとりで運転した。

涙が止まらなかった。残ったのは、借金と口座に残った10万円にも満たない貯金。苦しかった。誰にも相談できなかった。

「偉そうにね。社長がひとりで乗り込んでいって失敗したとか、かっこ悪いじゃないですか。無駄なお金ばかり使って、何一つ形として残らなかった……」

当時を振り返りながら、和田さんは、デスクの上に乗っていた透明な箱を取り出した。

「ま、唯一コイツだけがポーランドでの収穫だったかな」

そう言って、初めて成功した試作第一号のかつお節を眺めて小さく笑った。

ポーランドでの挑戦は失敗に終わるも、ここから「和田久」は快進撃を見せる。

スペインで心機一転。意気込んだ矢先のパンデミック

2015年、和田さんは先述の取引先の協力を得て、スペインのア・コルーニャ県の港町リベイラに拠点を移した。ポーランドから大型トラック2台分の機械を運んだ。

初めの1年間は、場所が確保できず、ツナの缶詰工場の軒先を借りてかつお節を製造した。

その後、リベイラから100km離れたオ・ポリーニョで、約5000万円をかけた完全一貫生産の工場が完成。スペイン保健所の検査もすんなり通った。従業員8人体制で、毎日1~2トンのカツオを加工できるようになった。