「難しい手術になるかもしれない」側弯症発覚から2年後に事態が急変

――しばらくは、様子見の時期が続いた。

佳寿美 お医者さんには「年に1回、診察に来てね」と言われていたので、翌年も検査したんです。そのときも少し進行しているくらいだったので、特に手術をすることもなく。「来年も来てくださいね」と言われて帰りました。

――しかし、「側弯症」が発覚して2年後、りおなちゃんが4歳半のときに事態が急変するそうですね。

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佳寿美 そのときは背中がかなり曲がっていて、幼稚園で2階の教室に上がるのですら呼吸が苦しくなってしまう状態でした。

 その状態で毎年の検査に行って、レントゲンを撮ったら、お医者さんから「これは手術をしたほうがいい」と言われたんです。

2歳半のときに、「側弯症」が発覚した

手術の後遺症で麻痺が残り、足が動かなくなってしまう

――その後、すぐに手術をした?

佳寿美 いや、すぐに手術ができたわけではなく。まず、検査の2週間後に改めて診察をして、CTで骨の状態を確認したんです。そしたら、骨がらせんを描くようにねじれ曲がっていて。

 そこでお医者さんから「かなり進行していて、心臓や肺も圧迫され始めています。難しい手術になるかもしれない」と宣告されました。

 しかも、側弯症の専門医が少ないから、お医者さんの手が空いてなくて、実際に手術できたのは半年後。5歳を過ぎてからでした。

――りおなちゃん自身は、自分の病気をどのように認識していたのですか。

佳寿美 りおなには基本的に、病気のことは全部伝えてきたんです。手術のときも「骨の病気で骨が曲がっているから、それをまっすぐにしようね」と言いました。

 彼女は病気のことを受け入れてはいたんですけど、自分の背が周りの子より小さかったり、体力がなくてすぐに息が上がってしまうことを気にしていて。よく「いつ背が伸びる? いつ普通になって、みんなと一緒になれる?」と言っていました。

 だから手術に対しては「骨がまっすぐになって背が伸びる」「息が苦しくなくなる」と期待感を持っていましたね。

入院中のりおなちゃん

――しかし実際には、手術の後遺症で麻痺が残って足が動かなくなってしまう。

佳寿美 手術中に「足が動かなくなりました」と言われて、「足が動かないって、どういうこと?」と理解が追い付かない状況でした。信じられなくて、ただ泣くことしかできず……。

 手術後はしばらくICU(集中治療室)にいてあまり会えなかったんですけど、一般病棟に移ってからりおなに「足を動かしてみて」と言ったら、本当に動かなかった。