「何も考えたくありません」

 九州は初めてですか

 

 小学校に行くまで熊本にいたことがあります。母とは7年ぶり。当分熊本の母のそばで静かに暮らすつもりです

 

 中川君とはいつごろ知り合いましたか

 

 (彼が)高校2年生の時から4~5人の友達連れで1週間に1度、寺にお茶の稽古に見えていました。知り合って足かけ3年になりますが、中川さんに対する私の気持ちは、いつまでも姉のような気持ち。いまでもその気持ちだけは変わりません

 

 いまの偽らぬあなたの気持ちは

 

 いまのところは何も考えたくありません。でも、中川さんがいろいろな目で見られ、つらい立場に立たされているのが気の毒でたまりません。熊本に行き、落ち着いたら、手紙を出そうと思っています(後から「でも、手紙を出せば、かえってまた迷惑をかけることになるかも分かりませんから考えてみます」と付け加えた)

大阪毎日は続報でも詳しく伝えた

 さらに尊昭尼は、倉田百三の『出家とその弟子』や志賀直哉の『暗夜行路』などの小説を読んだこと、名古屋や京都、大阪で映画を見たことを明かした。記事は「慣れぬ夜行列車に一睡もできず、青ざめた頬が痛々しかったが、それでも長い仏門の修業から身についた端正な姿勢は少しの乱れも見せず、心の落ち着きを保っているようだった」と書いた。大毎の記事には今回も車中の尊昭尼の写真が掲載されたが、やや下を向いているものの、顔を隠したりしてはいない。

車中でインタビューに応じる尊昭尼と自筆のサイン(大阪毎日)

門跡を失脚させようという動き?

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 一方、同じ大毎の紙面には中川青年の記事も。25日朝、自宅で「世間はなぜ人の足を引っ張るようなことをするのでしょう。とんでもないうわさを立てられ、腹立たしい。世間にも顔向けできず、門跡さまもお気の毒だ」と話したうえ、経緯をぽつりぽつりと語りだした。それによるとーー。

 2人の間が表面的に問題になりだしたのは、11月4日付で前門跡に送られてきた投書からで「電車内などで若い男と席を同じくしている尊昭尼をよく見かける。2人のうわさは気にしていたが、それを裏付けるものだ。老門跡から注意してもらいたい」とあった。尊昭尼とお供の尼僧と3人一緒に歩いたり、バスや電車で乗り合わせて座り、世間話をすることなどが度重なるにつれ、古い格式を尊ぶ寺内や戦前の門跡寺の事情を知っている人たちがとかくうわさをするようになった。

 

 中川青年も尊昭尼もそれら冷たい目を薄々感じていたが、この投書があってからは「門跡を失脚させようという何かのたくらみがあるのではないかとの感を深く抱くようになった」。そして、その投書が、人間として目覚めた尊昭尼に最後の決心をつけさせることにもなった。「門跡さんと私とのあらぬうわさを捏造して、門跡さんを失脚させようとした動きがあったことは確かです」と言う。人間性を没却しなければ務まらない門跡の座に、青年らしい純情で同情した中川青年は俗悪な世間をのろっている。