「死ぬのば知らねぇだけよぉ」
江刺家さんを加え、そのあと三人で時間が許す限り、タケさんのことについてお話をうかがった。イタコになられた経緯や、今の生活のことなどである。
私はタケさんに訊きたいことが山ほどある。しかし、それよりも先にタケさんの側が私に質問をされてきた。
タケ「あなだ今おいくつ?」
筆者「30。平成生まれだよ」
タケ「あれぇ、わぁ(私)より干支一回りも違うんだがねえ!?」
筆者「タケさんはおいくつなんですか?」
タケ「わぁ(私)がね? フフ、90越えましたよ。昔で言えばなぁ、60越えれば木も腐ったようなもんだ言われたけどねえ、わ(私)もはぁ90も越えたんだものねえ」
筆者「90歳って凄いねえ! 私だっけそったらも(なんてそんなにも)生ぎれる気ぃしないよお」
タケ「ウフフ、わぁ(私)だば死ぬのば知らねぇだけよぉ」
江刺家「死ぬの知らない病気なんだよ」
タケ「ウフフ、本当にねぇ! 今まで大して病院さもね、行ったことないしね。まあ目はね、こうして見えねっけどねえ」
幸いなことに私の地元の方言と、南部地方の方言はかなり似通っており、語彙も互換性がある。おかげで、地元の孫と祖母が喋っているように、話が弾んだ。そして、タケさんは自分が目の見えなくなった理由や半生を、江刺家さん(編集部注:八戸郷土史家で伝統的なイタコの姿と歴史、業を守り、伝える活動を行う人物)の解説もはさみつつ、ゆったりと話してくれた。
目の玉だば出目金みたいに腫れでまっで
日本最後のイタコにして現在最高齢のイタコ、中村タケさんは昭和7年4月2日に八戸市旧島守村に生まれた。「島守の中でも相畑ってちゃっこい(小さい)村だったぁ。百姓屋の子だったんだぁ」とのことで、その辺りは八戸市近辺でも丘陵地になっていて、現在でもほぼ農業で成り立っている地域である。
タケさんが盲目になったのは3歳の時だ。麻疹にかかり、高熱で目が腫れて失明したという。
「まずね、麻疹でね。うちは百姓屋だったから、泣がねで寝でるっでいっで寝せでおいだっけね、熱でね、はぁ医者さ行った頃なばね、目の玉だば出目金みたいに腫れでまっでね。八戸の松原先生さあわくって行っだらおらの父親だばはぁ先生に怒られでね。それでかって目ぇ見えねぐなったの」
熱が出て苦しいのを、農作業中に手がかからず大人しく寝ているので都合がいいと勘違いした親が忙しさのあまり放置してしまい、高熱で目が金魚の出目金のように腫れてしまった。それで慌てた父親が、当時八戸の馬場町にあった松原眼科院に駆け込んだが手遅れで、それで失明してしまったという。
「目玉がね、抜けだみて(みたい)になってね。カッコ悪かったもんだから手術して目玉だばなげて(を捨てて)、いれめ(義眼) 入れでるの」
