そんな大事なものを、タケさんは座布団の上に載せて、写真を撮ってもいいと言ってくださった。
33歳から恐山の大祭へ 自宅を主体にイタコ業
他にもタケさんはさまざまな話をしてくださった。
一人立ちした後も、しばらくは師匠の元へお礼奉公のようなことをして通ったこと。最初は人の相手でなく、具合の悪い牛や馬の治療をして名を上げてお客を増やしていったこと。結婚されていて、子供2人に孫が5人もいること。今は一人で住んでいるが、近くに住んでいる息子さんが毎日ようすを見に来たり、みんな気にかけてくれること。
33歳から恐山の大祭に通うようになり、当時は夫に手を引かれてよく恐山へ登ったこと。同じイタコの仲間たちと、呼ばれることがあれば津軽の川倉、遠く北海道の霊場である恵山や登別などにもイタコとして行くことがあったことなど……。
だが、体力的につらくなってきたため、2010年頃を最後に恐山には登らなくなり、今はこうして自宅を主体にイタコ業を行っているとのことである。
「北海道かい。わたしも昔ね、頼まれて登別さね、行ったんだよ。イダゴ頼まれてねえ。5人で呼ばれたよ。林(マセ)さんと工藤(ナミ)さん、川守田(トヨ)さんに小笠原(ミヨウ)さんと私。みんな亡ぐなったけど、小笠原さんだけまだ元気だか。体のあんべ(塩梅)悪いって、喘息だば(だと)言ってもうイダッゴやめだって聞いたけど……あんま会ったごど最近ないねえ」
「あれボケだってかい!? ほんだのがい…」
その言葉に江刺家さんは「小笠原さんホンズねぐなって(ボケてしまって)病院さ入ったんだって」と答えた。
これにタケさんはとても驚かれていた。「あれボケだってかい!? はりゃほんだのがい(そうなのかい)……」
私も「今日の朝、入口のところに行ったら看板がなくなってました。アルツハイマー型の認知症になってしまったそうです」と話した。
「あれぇ……私より若かったのにねえ。なかなか電話はねえ、お互いにしなかったんだけどね。こうなってみるとね、もっどしてればよかったねえ。アダシよりひとつ(歳が)少なかったんだけれど……」
タケさんはとても残念がっていた。当然だろう。小笠原ミヨウさんは南部イタコの活動で中心的人物で在り続けた。自分より歳も若く、長年同業者として苦楽を共にした間柄の人がそのようになってしまったと聞けば、誰でもショックを受けることだろう。
※中村タケさんの「93歳」は取材当時の年齢です。また、タケさんは2025年11月頃から体調を崩され、ホトケオロシが難しい状態になっているとのことです
