13歳でイタコの修行に、習い終わったのは16の頃
タケさんがイタコの修行に入ったのは、太平洋戦争中の1944年、当時13歳の頃だった。多くの盲目のイタコがそうであったように、タケさんも目の不自由な娘が生きていけるよう、両親がイタコになることを勧め、当時南郷村の師匠イタコでもあった谷川ハル女のもとで修行を始めた。当時は相畑から毎日4km以上の道のりを歩いて通い、やがて2年ほどで修行を終えた。しかし、戦後の混乱期であったためか、師匠からイタコを名乗る資格を与えられる「ダイジユルシ」の儀式が行われたのは1947年の晩秋頃になるまで時期が開いたとのことだった。この時に、伝統的なイタコの証であるオダイジとイラタカ数珠を師匠から与えられた。
「毎日通ってね。だけど習うだけにはいがねがった(いかなかった)。師匠にもお客さん来るべし、頼んでくれって行く先はあるべし、1年から2年くらいで少しづつ、ようやく習って……。習ってる間は卵を食べちゃわがねえ(ダメだよ)言われた。今は別に食べてもいいんだけれど、それでもあんまり肉だば(は)食べないね。習ってた時の最後はね、ダイジユルシってね、床の間に米俵2つおいて、三度三合づつカマスで2つって並べて、師匠が上座に座って、わぁ(私)下さ並んで座って習うの。その間はずっと朝昼晩3回水浴びて、うちの方さは誰も来ないようにしてね。まぁんずこれが厳しくでね、白装束着て、注連張って、2人で並んで座って、神様と仏様の分2回あるってんで、わぁ(私)はダイジユルシ2回もやったの。習い終わったのは14、15……いや16の頃だったかもしれないね」
中を見たら目潰れるという「オダイジ」
師匠イタコはもうこの世にいない存在だ。その修行も今では二度と見ることはできない。私はその様子をひとつひとつよりつぶさに聞きたく、タケさんの耳にきちんと届くよう、いつもより大きく「へえ~!」「それってこうこうこうだったんですか?」などと返事をするようにした。
「数珠は、マメイダゴさんって言うのかな。他に同じところで習ってたけど覚えられないでやめだのか、それとも中途半端なままでいる人なのか、ともかくその人の数珠が余ってたから、それを譲ってもらった覚えがあるね。イダゴ言っだって、その頃だば(なんて)一文もないような暮らしだったもんだがら、着物や数珠一つも無駄にはできねがった。背中のオダイジは今でも布だけ替えて、中身は出したこと一回もない。見だら目潰れるっでいう」