もしこのプロファイリングがうまくいけば…
私は違う。性暴力の被害者と作業をして、そういう恐ろしい行為に何も感じずにいるわけにはいかなかった。もっとも、そうして気持ちが動くことで暴力の本質をより十全に理解することができた。暴力のパターンや構造がおのずとわかったのだ。被害者とつながり、彼女たちの話と自分も関わり、その背景にどんな心理が働いているか分析することが理解に結びついた。被害者のプロファイリングをするうえで独特の洞察が働くようになったのだ。
私のこういうところを、加害者に注目しがちな捜査官たちは評価した。これはとくに、犯行をくり返す犯罪者が被害者によって扱いを変えるのはどうしてか、明らかにするのに役立った。そういうタイプの事件では、しばしば私に協力の要請があった。犯行の中では被害者と加害者のあいだでさまざまな力学が働くが――自己防御として、どういう場合に被害者が抵抗し、あるいは抵抗せずに降参するのか――その説明をしてほしいとか、シナリオによって加害者が刺激されたり、逆に動揺してたじろいだりする理由について意見を聞かせてほしいとか。
しかし、没入型アプローチのせいで、事件に満ちる感情に自分が左右されてしまうのも事実だった。私は感情を切り離せなかった。加害者はなぜそんなことをしたのか、加害者はどういう人間か、もっと理解したくて、ふと気づくと出来事の一部始終や細部を頭の中で再生してしまうことも多かった。そしてプロファイリングをした犯人がついに逮捕されると、自分の仕事を誇らしく感じたが、何よりまずほっとした。
ボビーズ事件ではとくにこの傾向が強かった。1980年代初めからチームが手掛けてきた十数件のプロファイリングの中で、被害者も加害者も女性というのは初めてのケースだった。もしこのプロファイリングがうまくいけば、いまだFBI内で囁かれている疑問に対し、高らかに「そらみろ!」と言ってのけられる――はたしてプロファイリングはより幅広い種類の事件にも適用できるのか?
答えは数か月後、その年の12月にもたらされた。