波多野春房氏は昨年春、杉並村に新式な住居を新調し、屋根にはしゃちほこなどを乗せて数寄を凝らし、「不忘庵」と名づけて秋子と楽しい生活を送っていた。今年5月、春房氏が社用を帯びて大阪に出張中、秋子はかねて懇意にしていて、足繫く邸宅へも出入りしていた有島氏とともに鎌倉におもむき宿泊した。帰京後、それを夫に知られ、春房氏は大いに不倫を責めたところ、秋子は「このうえは離婚してください」と涙を流した。

 春房氏は有島氏を訪問。「あなたが秋子との関係を認めるなら、私は断然離婚する。どうか秋子をあなたの妻にしてくれ」と懇願した。平素愛の執着と思想の厳正、行為の純真を主義とする有島氏は堅く死の覚悟を決めた。秋子も同様に、生きては再び相まみえずと思いつつ、春房氏の厳重な監視の下に自宅にいたが6月8日、秋子は断然家出。有島氏と示し合わせて東洋軒で落ち合い、手を携えて軽井沢への死の旅に赴いた。

 この経緯は後で問題になる。実は報知と時事にもほぼ同趣旨の記事が載っており、3紙の記述が春房の言い分に沿っていることに間違いはない。このあたりにも当時の新聞の社会面報道の無責任さが表れている。

千差万別の著名人による論評

 この段階で事件についての著名人の論評や談話が目立つようになった。内容は千差万別。大ざっぱにまとめると「氏のブルジョア意識が最期に導いた」(ジャーナリスト長谷川如是閑)=読売、「俗な心中で片づけるな」(作家・島崎藤村)、「厳粛な死」=歌人・与謝野寛(鉄幹)、「現在の社会組織が彼らを殺した。賛美してやりたい文学者の末路」(宗教学者・高島米峰)=以上報知。

 7月9日発行10日付夕刊各紙には9日午前、有島邸で行われた告別式の記事と写真が載った。残された3人の男児が正装して武郎の実母と並んでいる姿が同情を誘った。その記事部分の見出しは報知が「有島氏の靈(霊)前にぬかづく三愛兒(児)」、時事が「哀れに可憐(いじら)しい三遺兒の姿」。祖母の隣に立つ長男・行光は後年、新劇の舞台や映画『羅生門』(1950年、黒澤明監督)、『浮雲』(1955年、成瀬巳喜男監督)で知られる名優・森雅之となる。

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告別式での武郎の母と3人の息子(東京朝日)
俳優の森雅之(時事世界社『映画と演劇』1955年12月号より)

 報知は社会面トップで「淋しく移された秋子の遺骨 有島氏の葬儀と同じ時刻に赤坂臺町の覚栄寺に女中の手で」の見出しで、春房の知人の弁護士が波多野家の女中を連れて菩提所の寺を訪れ、風呂敷に包んだ秋子の遺骨を預けたと伝えた。國民も「秋子夫人の遺骨 女中が―捧げて」の見出しで、女中が遺骨を捧げる写真を添えた。