「愛の前には死がかくまでも無力なものだとは」
7月10日付朝刊の東日と読売は、武郎の親友・足助素一が自分宛ての武郎の遺書を公開したことをニュースにしている。遺書では「愛の前には死がかくまでも無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた。恐らく私達の死骸は腐爛して發(発)見されるだろう」という文章が予言的で、後世に残ることになる。
さらに読売は、足助が6月7日に武郎から聞いた話を書いている。それによれば、武郎と秋子が関係を持ったのは6月4日、千葉県・船橋の旅館に泊まった時夜だった。その時既に秋子は武郎に死を迫ったが、武郎は「もう一尾秋を見たい」となだめたという。足助は秋子を「死にたい女だった」と語った。
翌11日付朝刊ではどういうわけか、東朝ではなく、大阪朝日が「あき子から迫られて有島氏は死んだ」(見出し)という足助のインタビューと遺書を大きく報じた。
同じ11日付朝刊では萬朝報に「有島氏の導いた灰色の影 秋子に対する賠償金を要求したと謂はるゝ波多野氏」が見出しの興味深い記事が見える。2人の関係に気づいた春房は6月6日、勤め先に武郎を呼び「秋子との不義をののしり、真相を明かしてくれなければ、警視庁へ同道せよと脅かした。有島氏は平然として同道する旨を答えたところ、波多野氏はやや躊躇し、秋子を献るからと、その賠償として金数万円を強要した(この金で洋行する意思であったらしい)。有島氏は憤然これをはねつけ……」と記した。これが春房の脅迫を報じた初めての記事のようだ。
12日付朝刊の読売と國民も同じ趣旨の記事を掲載。國民は金銭要求の点を春房に問いただしている。春房が船橋のことを追及したところ、秋子は否定、武郎は認めた。金銭問題には全く触れていないと答えた。
國民の別面ではこの日から「友人の1人 石川六郎」による「波多野秋子の事―彼女の手紙を通じて」の連載が始まった。武郎と秋子の葬儀の新聞報道を見て、秋子の死が軽視されたと感じ、彼女からの手紙を通して軌跡と人間像を伝えようという趣旨。実質的に秋子の回顧録になっており、「彼女を『妖魔的』などと言うのは非人格的で皮相な評言」と世評に反発した。
彼女の本質は「江戸前の女」で、一番外側に優しく女らしく、快活で無邪気な性格が、その内側に冷静で強靭な性格、そして最も奥には、センチメンタルで弱く寂しい性格を持つ「三重人格」だったと述べた。確かに、読めば、「流行と虚飾の」(女性活動家・山川菊栄の評)職業女性とは全く異なる、悩み迷い続ける女の姿が浮かぶ。




