また、同じ日の各紙には、秋子が石本静枝に宛てた遺書の内容が公表されている。特筆すべきは「私は()うしても波多野を忘れられません。それで居て私は武郎を捨てることは決して出来ないので御座います。今から丁度十二年程前私は波多野にまゐりました。始めて生れた赤子のやうに私を愛し、教育してくれました。十二年の永い間只の一度も私から愛が放れませんでした」という部分だろう。結婚後の秋子の学費は春房が出していた。秋子にとっては、夫というより父親のような感覚だったのだろうか。一方で、春房のことを「恐ろしい人」とも言っていたという。

春房への疑いと秋子の石本静枝への遺書か゚同居した紙面(読売)

 國民によれば、秋子は家出の前々日の6月6日に静枝夫妻が経営する洋書取次店「大同洋行」の事務室にやってきて、静枝に「武郎との仲がやかましくなってきたから、いっそのこと自首して監獄へ行きますから」と言ったという。

春房の再婚も報じられた

 春房の再婚を報じたのは7月26日付東朝朝刊だった。社会面トップで、見出しは「戀の秋子に捨てられた春房氏が急に再婚 横田千之助氏が結ぶの神で英語芸妓新橋の實子と」。横田は司法相も務めた立憲政友会のニューリーダーだったが1925年に急死した。事件を知って波多野に同情した新橋芸者が客の横田に話したところ、横田が仲介して結婚することになったという。

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春房の再婚を伝えるゴシップ紙のような紙面(東京朝日)

 しかし、東朝のような大新聞が、ゴシップ雑誌が取り上げるようなネタをトップニュースにする当時の社会とメディアの状況に驚く。

「情死の真相が明らかになった」のは、8月1日発行の武郎の個人雑誌「泉」の終刊「有島武郎記念號」で発行元社長の足助が書いた『淋しい事實』。それを7月30日付時事朝刊が「裏面に伏在する有島氏の情死事件の秘密」「波多野氏に罵倒された有嶋氏の憤慨」「秋子の價(価)一萬円」の見出しで記事にした。萬などの報道を詳しくした内容。