不可解な「操縦適性なし」の判定

 大田正一がもたらした「グライダー爆弾」(人間爆弾)の着想は、すぐに航空技術廠から航空本部へとまわされた。航空本部では、総務部第二課で将来機の技術開発を担当する伊東祐満中佐が窓口となり、改めて大田の話を聞いた。大田の話に感化された伊東中佐は、航空本部総務部第一課長・高橋千隼大佐に大田の案を報告した。高橋は伊東に、軍令部の意向をただすよう指示、伊東は、海軍兵学校で1年後輩にあたる軍令部第一部の源田実中佐に連絡をとる。

 源田の動きは早かった。まず、大田の着想を上司の軍令部第一部長・中澤佑少将に報告し、裁可を受けた上で、第二部長・黒島亀人少将に伝えた。特攻兵器を自らも考案し、その実現に執着していた黒島が、「人間爆弾」の開発を積極的に承認したのは言うまでもない。

 源田はさらに8月5日の軍令部会議でその構想を発表し、新任の軍令部総長・及川古志郎大将からも採用許可をとりつけた。

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 軍令部の方針は、源田からふたたび航空本部の伊東中佐に伝えられ、航空本部長・塚原二四三中将の裁可も得た。航空本部はこの兵器に、発案者大田正一の名をとって「○大部品」と仮名称をつけ、空技廠に研究試作を命じた。8月16日のことである。空技廠では大に「MXY7」の試作番号をつけ、三木技術少佐が機体設計にあたり、さしあたって10月末までに試作機100機を完成させることとした。

 8月18日、軍令部の定例会議で、黒島は「火薬ロケットで推進する大兵器」の開発を発表している。

 もはや「人間爆弾」の発想は大田正一という一介のノンキャリアの手を離れ、海軍全体を動かす大方針となった。その責任は発案した大田より、多くの案のなかから大田案を採用、積極的に推進した軍令部の中澤佑少将や黒島亀人少将、源田実中佐、さらに航空本部をはじめとする「上層部」にあることは明白である。