神之池基地を離陸後、鹿島灘の沖に消えた大田機は、海面に不時着水し、たまたま操業中だった漁船に救助され、宮城県の鳴子陸軍病院に収容されたのだ。

 その後、大田は、各地で旧海軍の関係者の前に姿を現し、「大田が生きている」ことはいわば公然の秘密となっていった。だが、「茨城で牧場をやっている」「新橋の闇市に連れて行った」「北海道で会った」「密輸物資をソ連に運んでいる」……など、断片的な目撃談や噂はあったものの、その足取りは判然としなかった。

 大田は、1949(昭和24)年に家族のもとから消え、1951(昭和26)年、湯野川守正大尉と横浜で会ったのを最後に、海軍関係者の前からも完全にその姿を消してしまう。

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 闇屋同士の争いに巻き込まれて殺されたのだ、という噂も立ったが、その行方は杳として知れなくなった。

特徴が完全に一致する写真

 私のもとに、「大田正一の家族」を名乗る女性から、講談社を通して突然、電話があったのは2014(平成26)年春のことだ。大屋美千代と名乗るその女性は、桜花を発案した大田正一の息子・大屋隆司の妻だという。聞けば、テレビの戦争関連番組で、桜花を抱いた一式陸攻が米軍機に次々と撃墜される実写映像を見て、大好きだった義父が発案した兵器のために多くの若者が死んだことに改めて衝撃を受け、書店でたまたま手に取った『祖父たちの零戦』(講談社)の著者である私に話を聞いてほしいと電話をかけたのだという。

 親子でなぜ姓が違うのか。そもそも本物なのか─私は、疑念を抱きながら、大阪の大屋邸を訪ねた。大阪駅まで車で迎えに来てくれた隆司の顔は、写真で見る大田正一にそっくりである。

 そして、「これが父の写真です」と戦後、1950年代に撮影された証明写真を見せられたとき、それまで抱いていた疑念の大半は吹き飛んだ。証明写真の顔は、戦時中の大田正一の顔と特徴が完全に一致していて、同一人物とみて間違いなさそうだった。

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