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発案者の大田が「人間爆弾」に乗れなかった理由
大田は、軍令部で大の開発が公のものになった8月18日、海軍航空技術廠附となって一〇八一空を去る。さらに10月1日、桜花を主戦兵器とする第七二一海軍航空隊(神雷部隊、司令・岡村基春大佐)が編成されると七二一空へ転勤した。
桜花を題材にしたいくつかの書籍に、「大田は、自ら桜花に搭乗するため操縦訓練を受けたが適性なしと判定された」という主旨の記述が見られるが、たとえ桜花の操縦ができなくても、大田は歴戦の偵察員なのだから、命令ひとつで母機の一式陸攻の機長として出撃させることは容易くできたはずである。海軍がそれをしなかったのはなぜか。
これは推測になるけれども、操縦適性のあるなし以前に、桜花の発案者であり、仮名称大に頭文字を冠した「象徴」である大田を死なせるわけにはいかなかったのではないだろうか。大田が死ねば、桜花という非人道的兵器を開発した責任を、「上層部」の誰かが負わなければならなくなるからだ。
