高熱で休んだ翌日にボコボコにされて眉間を割られたことも……。1989年に新生UWFへ入門した長井満也は、当時の道場で横行していた「練習」の名を借りた凄惨な暴力の実態を証言する。
アゴの骨を折られて流動食生活を余儀なくされた選手や、密室での陰湿な理不尽に耐えかねて去っていった多くの若者たち。自身も首に選手生命を脅かす大ケガを負いながら生き残った長井が、「厳しさを履き違えていた」と語る平成プロレス道場の過酷な闇とは――。双葉社の新刊『証言 UWF「道場」の光と影』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目)
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新弟子イジメをしなかった前田
──高山善廣選手も第一次UWF(新日本プロレスとの提携時代)の新弟子だったけど、一度辞めてるんですよね。それもデカかったからっていうのがあったんですかね。
長井 そういう話をしたことはないですけど、おそらく大変だったと思いますよ。あれだけデカいわけですから。それで高山さんはUインターになってから戻ってきたじゃないですか。それってかなりの覚悟を決めて戻ってきたと思いますね。
──出戻りはさらに厳しくされると言いますもんね。あとデカい人と言えば、リングスでデビューする山本宜久選手も実は新生UWFにいたんですよね。
長井 山本は僕らのあとの第4回入門テストに受かってるんですよ。で、これも嫌な話なんですけど、ある先輩にぶん殴られてアゴの骨を割っちゃったんです。
