首をかしげる点がいくつも
事件を振り返ると首をひねる点がいくつもある。そもそも東朝が事件をつかんだ端緒。「赤銅御殿の白蓮脱走」は、社会部の片隅で「新人会」メンバーの記者2人がひそひそ話をしているのを「どうもくさい」と問いただしたとしているが、この証言自体がくさい。実際は、2人は原田譲二ら上司に相談。東朝社会部ぐるみで「新人会」とも連絡をとりながら、記事を出すまでの段取りを計画したはずだ。
「絶縁状」にも不審がある。白蓮・龍介夫妻の長女、宮崎蕗苳著・山本晃一編『娘が語る白蓮』(2014年)には「白蓮自筆の絶縁状(ノート)の冒頭部分」が載っている。元々白蓮が自分で書いた手紙そのものとみられる。
伊藤主人へ
私は今貴方の妻として最後の手紙を差上るのです
今、私がこの手紙を上げるという事は突然であるかもしれませんが、私としては、寧ろ当然の結果に他ならないのです 或は驚ろかれるでしょうが、静かに 私のこれから申上る事を 一通りお聞きくださいましたなら つまりは 私が貴方からして導かれ遂に今日に至ったものだという事もよく御解りになるだろうと存じます
そもそも私と貴方との結婚当時からを顧み なぜ私がこの道をとるより外に致方がなかったかという事をよくお考えになって頂き度いと思います
御承知の通り、私が貴方の所へ嫁したのは 私にとっては 不幸な最初の縁から離れてようよう普通女としての道をも学び此度こそは 平和な家庭に 本当の愛を(うけて 生き度いと願って居ました)。
さらに、林真理子の小説『白蓮れんれん』(1994年)には、その全文と思われる手紙が掲載されている。読み比べると、後半が大きく変えられているのが分かる。「文藝春秋」1967年6月号の「柳原白蓮との半世紀」で龍介は「絶縁状は燁子と赤松君と私と相談の上書いたものです」と認めている。
笹尾佳代「メディアとしての白蓮事件」=『超域的日本文化研究06』(2015年)所収=は「傳右衛門との結婚は『因習的な結婚』への屈従と意味づけられ、出奔は『金力』によって奪われた『女性の人格的尊厳』を回復するためであり、『個性の自由と尊貴を守り、かつつちかうため』の行為とされる。ここに明らかなのは、事件を社会問題に昇華しようという意識であろう」と分析している。
報道が作り上げた「物語」の裏側
白蓮と傳右衛門の結婚と結婚生活も、報道された通りのものだったのかどうか。「その前後の白蓮女史」は、「伊藤家へ嫁ったのは、むしろ彼女自身が進んで行ったので、その時はかえって、そういう無知な夫を自分が敬い、はぐぐみ、かつ導いて、立派な教養ある人に仕立てよう、この願いを自分の一生の事業にしようと……」と記述。


