14年前の政治家の言葉が、SNSで復活している感じ
こうして読むと救出費用などおカネに言及する声や謝罪を求める声が多いことがわかる。これは今回SNSで言われている「自己責任論」にも通じる。このときの政治家の言葉がそのまま一般に「論」として残っていると考えてよい。もっと言えば国側の目線に立ったような意見が2018年の今、一般にも顕著になったと言える。
一方で野党の政治家の声も載っている。
「将来にわたってイラク(復興)にかかわりたいという気持ちは大事だ。厳しい状況に置かれながら志を曲げないことにむしろ敬意を表したい。その志に対する批判なら、まったくの筋違いだ」(民主党・岡田克也幹事長)
「金銭的負担を被害者に求めるのは一番弱い立場の人に『自己責任』を押しつけるものだ。政府の言うことを聞かない人は法律で規制するというのは、個人の尊厳や自由を定めた憲法の精神と反する」(社民党・阿部知子政審会長)
こちらの「論」は今の安田さんを擁護する声の元祖と言っていい。
小泉首相の「批判」、読売の「見解」
しかしこれらをまとめて吹き飛ばしたのが小泉首相の言葉だった。
4月16日の毎日新聞・夕刊一面は「3人、18日にも帰国」。その脇には「イラク人を嫌いになれない 高遠さん『活動続ける』」という小見出しがある。高遠菜穂子さんはイラクでボランティア活動をしていたのだが、その活動は今後も続けると答えたのである。
するとその言葉を聞いた小泉首相は、
《 「いかに善意でもこれだけの目に遭って、これだけ多くの政府の人が救出に努力してくれたのに、なおそういうことを言うのか。自覚を持っていただきたい」と批判した》
わざわざ首相が強い言葉で非難したのだからインパクトは強かった。人々の記憶に強烈に刻まれたのだ。
当時の社説も振り返ってみよう。読売の社説が厳しかった。
《自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である》(2004年4月13日)
《政府・与党内には、救出費用の一部の負担を本人に求めるべきだという議論もある。これは検討に値する。独善的なボランティアなどの無謀な行動に対する抑止効果はあるかもしれない》(2004年4月19日)
……「独善的なボランティアなどの無謀な行動」という言い方にはギョッとする。ハッキリと切って捨てるナベツネ、いや読売社説だった。「政府に迷惑をかけるな」というお叱りである。