ファクターXを追え! 日本のコロナ死亡率はなぜ低い

大隅 典子 東北大学大学院医学系研究科教授
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山中伸弥さんが指摘した、日本人のコロナ死亡者が少ない背景にある何らかの隠れた理由「ファクターX」。それは一体、何なのか? 東北大学大学院医学系研究科の大隅典子教授は生物系の研究者として独自に調査を始めた。「日本人特有の理由があるはず」と探し回って出た結論とは?
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大隅教授

「木を見ずに森を見る」

 本誌6月号で、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥さんが、日本人の新型コロナウイルスによる死亡者が少ない背景には、何らかの隠れた理由「ファクターX」があるはずだと指摘して話題になりました。

 実は、私も前々から同じ疑問を抱いていて、世界中で日々更新される最新の論文や公開データなどからファクターXとなりえる候補を探して「仙台通信」というブログで発表していました。私の専門は発生発達神経科学で、感染症学とも疫学とも違います。ただ、今回のコロナ禍に際して、東北大学の新型コロナウイルス対策班メンバーとして学内の感染症対応に関わることになりました。

 また、厚生労働省クラスター対策班の押谷仁先生(東北大学大学院医学系研究科微生物学分野教授)をはじめとする同僚の専門家の話を見聞きする機会もあり、好奇心を刺激されたところもあって、生物系の研究者として、あれこれと調べるようになったのです。

「木を見て森を見ず」ということわざがありますが、公衆衛生の世界では、「木を見ずに森を見る」ことが求められると聞きました。たしかに地域や国という広い世界の傾向を分析していく時に、細かなことにこだわっていてはいつまで経っても対策が打てなくなってしまいます。木を見ず森を見て感染症対策をまとめていくことが合理的だということは、畑違いの私にも理解できました。

 ただ私は、細かな相違や変化をじっと見つめて、「なんで違うのだろう」と考え込む性格です。一本一本の木を見て、「他の木は元気なのに、なんでこの木は虫に食われているのかな」と心配になってしまうのです。そんな性分ですから、「なぜ国によってこんなに違うのだろう」「重症化する人としない人の違いは何だろう」という疑問に好奇心が抑えられなくなったのです。

なぜBCG推奨国は少ない?

 まるでアームチェア・ディテクティブですから、素人探偵の限界はご理解いただくことを期待して、この謎について、推理を巡らせてきたことをお伝えしたいと思います。

 厚労省の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の資料(5月29日付)によれば、日本人の感染者数、死亡者数が低水準であることに関し、生物学的な要因以外で重要なのは以下のような点です。

①国民皆保険による医療へのアクセスの良さ、また地方でも医療や公衆衛生の水準が高いこと
②市民の衛生意識が元から高く、政府からの行動変容の要請にも積極的に応じる協力姿勢
③中国やヨーロッパ等からの感染拡大の早期検出
④日本国独自のクラスター対策

 私はこうした公衆衛生的な努力が大きな効果を上げたことに異存はありませんが、それとは別に生物学的なファクターXが存在するのではという立場から見ています。

 というのも、新型コロナウイルスの感染や重症化の状況は、国ごとの違いが大き過ぎるからです。感染者数はPCR検査の程度に大きく影響を受けるので、ここでは人口100万人あたりの国別死亡者数をみることにすると、6月25日時点で8位までが欧州の国々で、次いで米国が373人、目下急増中のブラジルは251人、ロシアは58人。

 これに対して日本は8人、韓国は5人、タイは0.8人、台湾は0.3人、ベトナムはまだ死亡者がいません(worldometerというサイトのCOVID-19 CORONAVIRUS PANDEMICの公開データより)。日本だけでなく、総じて東アジアは感染者数も死者数も格段に少ない傾向にあります。

 こんなに国によって違うのは、公衆衛生的な努力だけではなく、別の要因があるはずです。そう思いながら調べていると、日本の感染状況がピークに達する少し前の3月末、私はツイッター経由でJSatoNotesというブログにたどり着きました。この記事では、BCGの接種が行われている国では、感染の広がりが遅いと指摘されていたのです。

 なぜBCGが? と思う方は多いでしょう。ご存知のようにBCGとは、結核予防のために接種するワクチンです。日本では結核予防法(1951年)により接種がはじまり、今は生後1歳未満での接種が推奨されています。

 結核予防のワクチンが新型コロナウイルスに効くとはにわかに信じがたく、意外な説としかいいようがありません。ところがJSato氏はその後も丁寧に公開データを調べ上げ、BCGの義務化の有無やその時期との関係、ワクチン株別の効果の違いまで指摘したのです。私は、感染症の専門家でも医学者でもない市民が参画してシチズンサイエンスが作られていることを強く感じました。

 JSato氏の指摘を私も独自に資料をあたって確認したところ、死亡者数の多いスペイン、イタリア、フランス、アメリカは、たしかにBCGワクチンを積極的に接種していません。これに対して中国、韓国、日本はBCG推奨国です。

東京株とソ連株は強力

 国別に細かく見ていくとさらに面白いことがわかります。

 ヨーロッパの大半の国がBCGワクチン接種のプログラムを持たない中、ポーランドでは、BCGの接種が推奨されていました。そしてポーランドの100万人あたり死亡者数は、隣国ドイツの107人に対して37人と少ないのです。

 スペインとポルトガルも隣国同士ですが、100万人あたりの死亡者数を比べると、スペインの606人に対して、ポルトガルは151人。スペインにはBCG接種のプログラムは無く、ポルトガルではワクチン接種が行われて来ました。

 さらにワクチンの株の種類によって差があることも、JSato氏は指摘しています。

 BCGワクチンには、フランス株、デンマーク株、ソ連株、スウェーデン株、東京株などいくつかの種類がありますが、最初にフランスのパスツール研究所で作られた大本のワクチンから枝分かれするごとに「亜株」とされ、効果も弱くなると言われています。

 今回の新型コロナに関して見てみると、ドイツで非常に興味深い現象が起きていることがわかります。ドイツでは1998年まで、旧東ドイツではソ連株のワクチンを、旧西ドイツでは西欧株のワクチンをそれぞれ使っていました。5月20日付けで旧西ドイツ側の人口100万人あたりの死亡者数が108人であったのに対し、旧東ドイツ側は46人でした。もちろん、ベルリンなどの都市部での死亡者が多いことや、医療格差、移民の問題も背景としてありえます。実は、日本で使われている東京株もソ連株に近く、大本のワクチンに近いことが知られています。

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免疫を強化する働き

「え? でもBCGの効果って、20歳くらいまででは???」

 というのが私の最初の感想でした。それでもこの仮説を面白いと思った理由は、BCGワクチンが結核菌に対する効果だけでなく、オフターゲット(当初の狙いとは別の)効果として、人間が本来持っている免疫システムを強化し、それが遺伝子レベルでの変化を引き起こし、効果が持続するという新たな概念を提唱する論文があったからでした。

 今回の新型コロナの件が話題になる前から、BCGが「自然免疫を訓練する」というオフターゲット効果は一部の研究者には知られていました。成人期以降の肺がんの発生リスクの低減や、膀胱がんの進行抑制作用を認めるという報告もあります。

 免疫は、大きく「自然免疫」と「獲得免疫」の2つに分類されます。

 自然免疫は、人が赤ちゃんの時から持っている抵抗力のことで、つねに全身をパトロールし、外から異物が体内に入ってくると攻撃します。担当する細胞としては、マクロファージ(白血球の一種で、体内で不要となった細胞や外敵を食べて処理する免疫細胞)やナチュラルキラー細胞などが知られています。

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source : 文藝春秋 2020年8月号

genre : ニュース 社会 医療