家康の凄さは「信長疲れ」を見破ったことだ
前回、徳川家康について、彼が生まれた三河という土地に着目して語りました。誕生から人質となり駿河の今川氏のもとで育てられた少年時代まででした。今回は、家康の生涯に大影響した織田信長との関係を論じたいと思います。
信長は天下統一の途中で命を失いましたが、家康は天下人となったうえ、その政権は300年近くにわたって続きました。これは後世の我々から見れば、至極当然の事実です。しかし、なぜこの違いが生まれたのでしょうか。ここを深く考えてみたいのです。
家康は数えで75歳という、当時としては長生きです。信長だけではなく、今川義元、武田信玄、上杉謙信、豊臣秀吉などのライバルが世を去るなか、家康だけは生き残って、天下を手中にしました。寿命や運のせいもありますが、それだけで勝ち抜けるほど、戦国時代は甘くありません。
戦国勝ち抜き戦の競争倍率はすさまじいものです。城や村落の数から推計すると、戦国時代、一村を支配し、小城(こじろ)を構え、天下が狙える「領主」の家は5万近くありました。家康の松平(徳川)家は、その競争を勝ち抜いてチャンピオンになったうえ、日本史上、稀な長期政権を維持したのです。一方、古い今川や、新しくても信長は、早々に退場させられました。信長だからこそ突破できた面もありましたが、信長だからこそ日本社会の特性に適わず、持続不可能だった面もありました。家康がなぜ永らえたか、信長がなぜ潰えたかを知ると、この国の歴史の勘所がみえてきます。
2人の運命を変えた桶狭間
それを考えるうえで、まず避けて通れないのが、永禄3年(1560年)5月に起きた有名な桶狭間の戦いです。この一戦は信長と家康の運命を変えてしまいました。
まず信長から見ていきましょう。
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source : 文藝春秋 2023年1月号