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特集私が令和に語り継ぎたい「平成の名言」

「国策捜査」から「排除します」まで――言葉で振り返る平成政治史

「国策捜査」から「排除します」まで――言葉で振り返る平成政治史

一方、永田町の視線を独占してきた小泉親子は……

2019/05/01

genre : ニュース, 政治

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「自分は変人ではない。子どもがかわいい、普通の父親だ」(小泉純一郎、平成20年)

 変人と呼ばれた男の知られざる「人間宣言」である。

 平成20年9月、小泉純一郎は政界引退を発表した。神奈川県横須賀市の宴会場に大勢の支援者を集め、自身の後継者として紹介したのが、27歳の次男・進次郎であった。「かわいい子ども」を壇上に立たせる前、小泉が父の顔をしながら説いた一言がこちらである。

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 世襲4代目は翌年の衆院選で初当選し、以来、マスメディアの寵児となった。令和元年、彼は国会議員になって10年を迎える。遅咲きだった父は平成になってから「YKK」として注目されると徒手空拳で3度も天下取りを試み、世紀の番狂わせを巻き起こしてからは5年5か月間も権力を掌握した。その20年と合わせて考えれば、やはり平成という時代は小泉親子が永田町ツバメの視線を独り占めにした30年でもあったと思う。

後継者として次男・進次郎を紹介する小泉純一郎 ©時事通信社

進次郎は「令和のリーダー」へと成長を遂げるのか

 閣僚経験のない38歳のことを次世代のリーダー候補に挙げたがるワイドショー的な発想に、彼を長らく見てきた私もそれほど異存はない。しかし、彼は大見得を切って「平成のうちに衆議院改革実現会議」という超党派の議連をぶち上げ、新時代に向けた国会のあり方を派手に提唱しながらも、平成のうちにはさっぱり実現できなかった。

「平成メディア政治の覇者」と言っていいほどの類まれなる発信力を持ちながら、ここまで実績がわかりにくい中堅政治家も珍しい。安倍と石破が争った平成最後の党総裁選でも然り、正念場に洞ヶ峠を決め込んでしまうあざとい一面を見るにつけ、こんにち彼の政治手腕に疑問符を付け出した政界関係者が決して少なくないことに合点がいく。

 小泉進次郎は「平成のスター」で終わるのか。それとも「令和のリーダー」へと成長を遂げるのか。彼の意志ではなく、「時代」が雌雄を決することになるだろう。

(文中一部敬称略)

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