闘牛禁止の流れが止まった「ある闘牛士の死」
そもそも闘牛の発祥は古代ローマ帝国時代にまで遡るという。いまのスペインがイスラム帝国から独立を回復したのは、レコンキスタ(国土回復運動)が終結した1492年。それよりもはるか昔に遡る伝統として、子供のあこがれの職業であるのみならず、闘牛はスペイン人の文化、アイデンティティーの根幹として認識されてきた。
ただ、欧州は動物愛護運動の発信地の一つでもある。いったんは広がるかに見えた闘牛禁止の流れが止まった背景には、憲法だけでなく、ある闘牛士の死がある。
2016年のことだ。スペイン東部の闘牛場で29歳の闘牛士、ビクトール・バリオが牛に角で突かれて死亡した。闘牛士の死亡事故は1985年以来、実に31年ぶりのことだった。31年前、スペインでは殺された闘牛士を悼んで多くの人々が葬儀に詰めかけた。
不謹慎狩りを続ける「進歩的」欧州人への反発
だが、バリオのフェイスブックに寄せられたのは、遺体となったバリオをさらにむち打つ内容のコメントだった。
《死後もずっと牛に攻撃され続けますように。そうすれば痛みを感じても永遠に死ねないでしょう》
《普段は苦しんで死ぬのは牛だが、今回は虐待する方だった。こんな動物虐待は時代遅れだ》
普通に考えれば、この死は、動物愛護団体どころか、闘牛士の妻をはじめ人間を愛護する団体による闘牛反対運動まで起こしかねない事態だろう。だが、違った。スペイン国民の圧倒的多数が追悼の意を示す中での、こうした動物愛護を標榜する人々のコメントが反感を呼んだのだ。
戦争自体は非難されても、犠牲になった特攻隊員を非難する声が支持を集めないようなもの。こんな世論の風向きを受けて、先の憲法裁判決となったわけだ。
実は、闘牛再開の動きは深層意識のレベルでは英国のEU離脱や仏独での極右勢力躍進とも微妙に繋がっているともいえる。いずれも、欧州のエリート的な価値観への反発から生まれているのだ。ポリティカル・コレクトネスをふりかざし、風紀委員ばりの不謹慎狩りを繰り広げてきた「進歩的」欧州人の価値観への反発、という点で闘牛再開は、スペインもイギリスや仏独の流れに乗ったともいえる。
無論、伝統的な価値観と進歩的な価値観の対立は憲法裁判所の判決程度でおさまるものではない。今回は一敗地にまみれた動物愛護団体だが、闘鶏、闘犬、はては象によるポロ競技などほかの動物競技に反対するグループもいる。動物愛護団体と伝統文化との闘いは、今後も続く。