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「テレビではあんなにハキハキと喋っていますけど……」

「堀越高校に入ってから、春馬は1人で東京に行ったんですけど、母親もよく東京まで送り迎えして世話していました。私が春馬と最後に顔を合わせたのは、ちょうど2007年の映画『恋空』に出演した前後の正月だったと思います。その時は『お久しぶりです』って感じで、そんなに深い話はしなかった。『次はどんな映画やるの?』なんて聞いたりもしましたが、自分からは全然喋らない子だから。

 テレビではあんなにハキハキと喋っていますけど、実際は全然違うんです。何か喋るときもお母さんをチラチラ見て、お伺いを立てるようにしていた。繊細で、寡黙な子だったんです。春馬が幼い時に、『どうして役者が好きなの?』って聞いたら、『いろいろな役になれるから好きなんだ』って言っていました」(同前)

お菓子を片手にピースサインをする幼少期の三浦さん(親族提供)

 順風満帆に俳優としてのステップを上がっていったが、三浦さんは19歳の時に引退を考えた時期もあるという。

金銭的な面で母親を支えている部分もあった

「連ドラ『サムライ・ハイスクール』(日本テレビ系)の主演を務めた2009年当時、三浦君はプレッシャーでセリフを覚えられなくなり、引退を考えるまで精神的に追い込まれていた。生まれ育った茨城に戻り、農業の仕事に就くことを決意したが、周囲に説得されて思いとどまったそうです」(事務所関係者)

三浦春馬さん ©Getty

 前出の継父の知人が続ける。

「春馬が『辞めたい』と悩んでいた時に、芸能界を辞めてもよかったんじゃないかなって思います。知名度があったから、辞めてもこの先どんな仕事をしても成功したでしょうし。ただ、大人になってからは金銭的な面で母親を支えている部分もあったから、色々考えることもあったのかもしれませんね。春馬はすごく優しい子で本当に母親想いの子です。母親も『春ちゃん、春ちゃん』っていつも言っていて、息子が大好きだったから、言葉にならないくらい相当なショックを受けていると思います」

 様々な賞を受賞し、名実ともに日本を代表する役者となった三浦さんは、実は2年ほど前に生き別れた実父と病室で再会を果たしていた。それは、20数年ぶりの親子の対面だった。