「『六角家』の新横浜ラーメン博物館への出店などで、家系ラーメンが全国的な認知度を獲得しました。『家系』という言葉が横浜のご当地ラーメンを意味する用語の総称へと完全に変わった2010年頃から、家系ラーメンの人気に商機を見出した大手飲食企業が、この業界に参入し始めたのです。そういった店は“資本系”と呼ばれ、アクセスが良好な駅前への出店に軸足を置いたチェーン展開で急速にファンの支持を拡大していきました。『横浜家系ラーメン 町田商店』、『横浜家系ラーメン 壱角家』などは資本系の代表的な存在です。
ラーメンは看板ではなく、味がすべて
『吉村家』や『六角家』は厳しい徒弟制度をとっており、厳しい修業の末、熟練した“ラーメン職人”が親方から技術を継承することで、店の味を守ってきた。一方、資本系はスープや具材をセントラルキッチンで作り、各店に配送する方式を取りました。マニュアルさえきっちり守れば、誰でも『店の味』を再現できるようにしたことで、熟練した職人がいなくても家系ラーメンを提供することに成功したのです」(ラーメン探究家・田中一明氏)
家系ラーメンの古くからのファンには、「吉村家」「六角家」といった店が提供する、職人たちのこだわりのラーメンのみを「家系」であると考え、資本系のラーメンは家系と認めない者もいるという。しかし、家系の歴史を知らない多くの消費者にとっては、ラーメンは「看板ではなく、味がすべて」(田中氏)。資本系の“大躍進”により「家系ラーメン業界」内での競争が激化していくと、段々「六角家」はかつての勢いを失っていった。
「職人の味には到底かなわない。資本系の味は画一的で“亜流”だと呼ぶマニアも昔は多かったのですが、度重なる商品開発と改良の結果、現在は資本系のなかでも、幅広いファンを集めるほどの人気店がいくつもでてきました。そうなるといやが応でも競争は激化します。『六角家』もかつてない競争の波にさらされることになりました。ただし、『六角家』が手をこまぬいていたわけではありません。90年にはセブンイレブンと組んで『六角家』の名を冠したカップ麺の販売にもいち早く乗り出し、その知名度を武器に全国に系列店を広げました。
しかし、幸か不幸か、本店で修業した弟子たちが全国各地に散らばってしまうことで、六角家本店自体に安定した技術を持つ人材がいなくなってしまったのです。それでも店長の神藤氏が健在の間はなんとか客もついていましたが、2015年ごろには店内で職人同士の怒号が飛ぶこともあり、店の雰囲気や接客の悪さを指摘する口コミも増えました。同年には消費税の滞納が理由で、神藤さんの自宅が財務省に担保にとられるなど経営悪化が囁かれ始めた。そしてその2年後、とうとう神藤さんが体調不良で厨房に立つことができなくなったのが決定打となって、六角家の本店が閉店したのです」(前出・山本氏)
それでも、いつか神藤氏は帰ってくる。家系ラーメンの伝説である「六角家の味」が復活することを願っていたラーメン愛好家たちは多かった。しかし、彼らの願いも空しく、六角家はついにこの9月「倒産手続き」に入ったのである。(後編「家系ラーメン“のれん分け戦争”『吉村家vs.六角家』裏切りと屈服の黒歴史」につづく)
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