お化粧すればピカソみたいに。買い物に行ってもお金の計算ができない。でも結構、楽しく過ごしているのです。(全8回の7回目/#1#2#3#4#5#6より続く)

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赤ちゃんのような状態から日本語を習い始めた

 私がくも膜下出血から脳梗塞を起こして、もう10年以上が経ちました。脳梗塞は脳の大きな血管がつまり、その先に血液が行かなくなる病気です。私の左脳は4分の1が壊死してしまいました。

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清水ちなみさん ©佐藤亘/文藝春秋

 視野が大きく欠けて、眼球が動かしにくい。右手は指先まで神経が通わず、右足先の感覚も乏しい。

 当初は失語症がひどく、語彙は「お母さん」と「わかんない」の2語だけ。漢字をひとつずつ覚えたり、失語症の患者には漢字よりも難しいひらがなを練習したり、テレビを見て出演者の言葉を復唱したり。赤ちゃんのような状態から日本語を習い始めたのですが、10年経ったいまもなお、以前とはほど遠いのが現状です。

 頭に浮かぶことはいっぱいあるのに、語彙が足りなくて言葉にならない。書いている時は、いつももどかしい気持ちでいっぱいになります。この文章が読めるものになっているのは、旦那や編集者さんに直してもらっているからで、実際に私が書いている文章は小学生の作文以下のレベルなのです。

脳が壊れてから10年後、現在の私の日常

 昔、自分が書いた記事を読み返すと感心します。24歳で『週刊文春』で「おじさん改造講座」の連載を始めた頃は、当時の上野徹編集長から「文章が達者だ」と褒められてとてもうれしかったのですが、いまは全然達者じゃありません。

 今回の原稿では、脳が壊れてから10年後の現在の私が、どんな感じで日常を送っているかを書いてみたいと思います。

最新話は発売中の「週刊文春WOMAN 2021年 春号」に掲載中

 パソコンで原稿を書いていて、わからないことが出てくると、私は高校生の娘に聞きます。

「”アルファベット”ってカタカナで書きたいんだけど、ファってどう書くの?」

「fの次にaを押すの」

「『ちょっとずつ』ってどう書くの? づつなの? ずつなの?」

「ずつだからzutuだよ」

「ありがとう!」

 こんな感じです。